イングランド・プレミアリーグのサウサンプトンに所属するサッカー日本代表の吉田麻也選手も、「サッカー選手の僕が観てもサッカーの技術がふんだんに盛り込まれた映画」とサッカー映画としての太鼓判を押す。
ペレの母国、ブラジルはサッカー王国として数多くの名選手を輩出している。吉田選手はペレのほかに頭に浮かんだブラジル選手に、「ジーコ、ネイマール…(元名古屋グランパスの)ウェズレイとか 。あとはロナウドやリバウド」を挙げた。
「アタッカーはテクニック、スピードがあって、タレント性がある選手たちの方がイメージはしやすい。パッと頭に浮かぶかな」
アタッカーはアクロバティックなプレーも多くファンを魅了する。吉田選手も子どもの頃はそんな選手たちに憧れた。
「小さい時はよくオーバーヘッドとかね。今でもやりますけど(笑)。僕らは芝生の上でやれるのでたまにやったりします。やっぱりブラジル人選手は身体能力がすごいなあと思います。対戦していてもそうだし、プレーを見ていても」
■坂の街で練習した小学生時代
スラム街で育ったペレが子どもの頃にサッカーをしたのはストリートだ。家と家の間を仲間たちとドリブルすることで、次第にテクニックが身についていった。「坂の街」として有名な長崎市出身の吉田選手も、坂の多いストリートで練習したことがあるという。
「そんなにボールを(遠くに)蹴れない時は坂の上の方に蹴って、ボールが落ちてくるのを待って蹴って、それをひたすら繰り返していました。それってすごくいい練習になるんですよね。しっかり蹴って、真っ直ぐ当てないと、違う方にいったらボールは(自分の所には)返ってこない。真っ直ぐ蹴って返らせるというのをひたすらやっていました」
貧しい生活のなかでもサッカーという楽しみを見つけたペレ。しかし、その環境に絶望的なものを感じたこともあった。吉田選手もオランダのVVVフェンロー時代にケガで苦しんだと振り返った。
「中足骨のケガで10カ月プレーできなくて。そんなに長くかかるケガではないのになかなか治らず、リハビリの途中で再手術になってしまったり。自分の思うように回復しない時はしんどかったなあ」
ペレは10歳の時、父親に「いつか僕がブラジルをワールドカップで優勝させる」という約束をした。 吉田選手も子どもの時に約束をしていた。
「僕はプロになるために小学校卒業して名古屋に出たため(名古屋グランパスユースに合格)、その時から『自分はプロになるんだ』と親や家族に約束しました」
■未来を背負う後輩にエール
プロになると決め、現在は日本代表としてもピッチに立つ吉田選手。年齢的には中堅になった。かつての自分のように、より高みを目指して這い上がってきた後輩たちが今年はリオデジャネイロ五輪の大舞台を駆ける。U-23日本代表メンバーにエールを送った。
「やるからにはメダルを目指して欲しい。周りが無理だとか、厳しいんじゃないかとか、そういう声を気にしている必要はなくて自分たちがどうなりたいか。メダルを獲りたいと言って必ず獲れる保証はないけれど、メダル獲れないだろうなって(気持ちで)戦っている選手がメダルを獲れることは絶対にないと思う。強い気持ちを持って、23歳以下でもひとつの国を背負って戦っているだという責任と誇りを持ってプレーしなければいけないです」
今年の夏は『ペレ 伝説の誕生』とリオデジャネイロ五輪でサッカー界が盛り上がる。
#吉田麻也 インタビューの様子 pic.twitter.com/13igh5ZEVN
— CYCLE-やわらかスポーツ (@cyclestyle_net) 2016年7月6日
#吉田麻也 映画「#ペレ 伝説の誕生」についてアピール pic.twitter.com/aXiULKYhk3
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