【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い(前編) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い(前編)

オピニオン ボイス

【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い
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サッカーのJリーグのように、フットサルにも「Fリーグ」(日本フットサルリーグ)と呼ばれるトップリーグが存在し、国内全12チームがしのぎを削っている。しかし、マイナー競技ゆえに選手の大半は他の仕事をしながら、競技生活を送っている。

Fリーグのバルドラール浦安に所属し、2009年からフットサル日本代表に名を連ね、2014年から代表キャプテンを務めた星翔太選手もそのひとりだ。

2016年9月から株式会社エードットでインターン活動を開始した星選手は、Fリーグ界の現状をとらえて、現役選手でありながら人材育成プロジェクト『Playing Worker(プレイングワーカー)』を始動させた。スポーツと社会との関わり、発展などを考え、アスリート自らが仕事を作っていけるようにするプロジェクトだ。

星選手は「マイナースポーツの選手は小さなコミュニティー内で完結してしまうことが多い。プロジェクトを通して、社会とつながる仕事を提案していく人材になるための基盤作りをサポートしたい」と説明し、社会への新しい入り口を作るために、まず自分自身がプレイングワーカーとなった。

インタビュー前編では、Fリーグの現状やプレイングワーカーを考えたきっかけについて星選手に話を聞いた。(聞き手はCYCLE編集部・五味渕秀行)

星翔太選手
写真提供:バルドラール浦安

■大学でフットサルに出会い、父の言葉でプロ入りを決意

---:星選手は幼稚園から11人制サッカーに親しみ、小中高と部活動で競技を続け、早稲田大学でフットサルに出会ったそうですね。かつては医者を志望されていたそうですが、大学では何学部に進学されたのですか?

星翔太選手(以下、敬称略):早稲田のスポーツ科学部なんです。もともとドクターになりたいという夢は、小学生のときに祖父を亡くしたのがきっかけです。祖母がひとりになってしまうので母親が(実家のある)山梨に帰ると言って。僕は東京の学校だったんですけど、山梨に(家族)全員で帰ったんですよ。小学校3年生のときかな。そこから東京の小学校に2時間かけて通うというのをやっていまして。

サッカー部だったんですけど、4時半に起きて5時の電車に乗って7時の朝練に出て…って生活をしていました。医者をになりたいというのがあって、志してはいたんですけど、サッカーの時間に比率が取られてしまう毎日でした。

医学部は国立で入ろうと思って理5型を選考していたのですが、教科数も多くなかなかキツい。高3までやって、医学部は難しいと…。そのなかで現実的に(高校サッカー選手権予選で敗退した11月に)引退が決まって、改めて将来を考え始めました。

---:山梨から東京の学校に高校まで通っていたのですか?

星:中学校からは東京から通っていました。小学校の多感な時期に山梨から通ったのは(今の自分の根幹を作ったという意味で)大きかったです。スポーツの分野、トレーナーにも興味がありました。(大学選びをするなかで)早稲田大学のスポーツ科学部ができたばかりだと知り、これもタイミングだと思い目指すことにしました。

---:大学に入ったら、すぐフットサルを始めた?

星:高校のサッカー部の監督が早稲田出身者だったので、(入学が)決まった時点で「早稲田のサッカー部に入るんだろ?」と言われてたのですが、自分で自分の道を決めたいのに、“なんでレールを敷かれなくちゃいけないの?”という疑問から、「サッカーやりたくないです」とハッキリ言って…。

いろんなことをサークルで試しました。テニスや野球、格闘技など試して、どれもしっくりこないなかで高校の先輩に誘われて始めたフットサルが「ああ、面白いじゃん」という所からフットサルを始めることになりました。

---:日本代表に選ばれたのはいつ頃ですか?プロになってから?

星:一回20歳のときに呼ばれてはいるんですけど、それは合宿に呼ばれただけで。そのあと23歳ぐらいで呼ばれ、そこからずっとですね。

---:プロ入りは早稲田大学を卒業してからですか?

そうです、卒業したあとに。在学中もオファーはもらっていたんですけど、やっぱり勉強がちゃんと終わってからじゃないと行くべきじゃないと僕のなかで考えがあったので。

---:プロとしてやっていこうと思ったのはなぜでしょう?もともとは医者を目指し、スポーツ分野への興味もあって大学進学をしたわけですが。

星:就職活動もしたんですよ。就職するべきかなと思ったんですけど、その時に父親に言われた言葉がすごく鮮明に残っていて。そのとき代表チームのスポンサー、自分の個人スポンサーもいたなかで、「就職するのはいいけど、じゃあそういう(フットサルのプロという)環境をみんな目指して目指せると思う?100人がいて、お前がやろうとしていることは100人全員なれるのか?100人いて、ひとりとかしかなれないんじゃないのか。そういう可能性があるんだったら、やるべきなんじゃないか?」と言われて、たしかにそうだなって。

とにかく就職していろんなことを学んで、そこから自分のやりたいことが見つかるかなぐらいの感じで、フットサルも(仕事と)一緒にやっていけばいいかなと考えていたんですけど、父の言葉を聞いて、自分のなかで、じゃあそれに賭けようみたいなところがあって。あと海外でプレーしたかったこともあり、それをやる上では社会人になったら厳しいので。

2012年、ブラジル代表との国際親善試合に出場した星翔太選手(左)
(c) Getty Images

■フットサルは知っていてもFリーグは知らない

---:現在のFリーグ界の現状はどうですか?

星:すごく厳しい状況だとは思います。地元のチームだったら、僕らも浦安や新浦安の駅前で、試合の1週間前は選手がチラシ配りをして触れ合う機会があるので、地元の人たちが観に来る可能性はあると思います。ただ、メディアに出ることはあまりないですし…。『やべっちF.C.』(テレビ朝日系のサッカー情報番組)で年末とかのイベントにFリーガーが何人か出てるぐらい。

それもFリーグの何何じゃなくて、チーム名じゃないですか。例えばバルドラール浦安の星選手が出ています(と紹介されても)、でも「バルドラール浦安って何?」みたいな。そもそも調べないとわからない。

それならFリーグの何選手がって言ったほうがみんなFリーグを調べると思うんですけど、フットサルという言葉とFリーグという言葉が本来一緒のラインになければいけないのが、フットサルはみんな知っているけどFリーグは知らない。

フットサルのプロ選手がいることも実際(の知識として)どうなのかな…。そこに差があるので、ギャップができてきているので、集客とか浸透の度合いでいうとFリーグは厳しい状況だなと思います。

---:Fリーグは12チームありますが、どこもチーム事情は厳しいのでしょうか?

星:メディアも来づらい(立地の)会場だったり、こっちから情報発信する場もないですし、刺さるようなメッセージ性のあるイベントをするわけでもない。競技場もサッカーだと(キャパシティーが)5万人くらいですよね。5万人で(入場者数が)1万人だと少ないと思われるけど、僕らは3000人とかしか入らない。

マックスで3000人となると平均して1000人。バルドラール浦安で1100人とか。僕らのチームはそもそもキャパがそんなに大きくないので1000人入ってくれたら会場としては盛り上がるけど、チームによってはかなり厳しい所もありますね。

星翔太選手

■リハビリの先に見えた人材育成プロジェクト

---:星選手は2016年シーズン、トレーニング中にケガをされてしまったそうですが。

星:去年はグロインペイン症候群(鼠蹊部痛症候群。サッカー選手に症状が出ることが多く、股関節周辺が痛む)になって長い期間休んで、オフ明けのプレシーズンの最後のほうに接触で前十字靭帯を断裂しました。

---:今回の負傷は何月だったのですか?

星:(2016年の)5月末ですね。6月2日に手術しているので。

---:では、ほとんど実戦の場には出られなかった?

星:1戦も出ていないです。プレシーズンの練習試合に出たくらいです。

---:それだけ長い期間、試合に出られなかったのはプロになって初めてですよね?

星:6カ月は初めてです。前回のグロインペイン症候群も4カ月とかですし、その前のヒザの内側(のケガ)をやっても1~2カ月なので、これだけ長いのは初めてですね。

---:治療を続ける過程で、今後について考えることもあったと思いますが。

星:今回ケガをしたとき、あまり後悔がなかったんです。ケガで言うとわかりやすくて、靭帯がブチンと切れましたけど、つなげれば、また戻る(治る)わけです。骨が折れてもまた戻るのと一緒で。

前のケガは治るケガじゃないというか、どこかがよくなったから痛みがなくなりますという問題じゃなくて、うまく使えるようになったから痛みが消えてるよねっていう感じで、完全に治るかどうかいえないようなケガなんですよね。

というのを経験して、今すぐ走れる状況なのにケガをしているみたいな状況だった。ここから次はいつケガしても大丈夫なぐらい、毎日一生懸命生きようじゃないですけど、後悔しないように生きよう、プレーしようって思ったので。だからヒザのケガをしたときも後悔はなくて。

それで、これから何やろうってなったときに、選手としてケガのリハビリに励むだけじゃなくて、以前から選手が社会人としての必要なスキルとかマナーを身につけたら必然的にピッチのなかも良くなるなって思ってたので、エードットの伊達(晃洋)社長と出会ったタイミングを機にインターンを志願しました。


(インターンを始めて)プレーに対して一日一日後悔なくは変わらずですけど、前みたいな“仕事”というよりは、楽しまなきゃいけないと思っています。もちろん仕事なんですよ。真摯に取り組むし、真面目に結果を残しにいくんですけど、一回一回ボールに触れられることや、仲間と一緒にコミュニケーションを取れることを楽しみたいなって。

あとはコミュニケーションの取り方はすごく変わってきたなぁと思っていて。ちょっと前まではトップダウン方式みたいな実力至上主義だから、オレ結果出すからお前らついてこいよ、みたいな感じでした(笑)。

今ではそういった部分も、(インターンを通じて)自分自身をPRする方法やプレイングワーカー育成プロジェクトを立ち上げることも含めて、プラスに働いている印象があります。

---:そもそも育成プロジェクトを考えたのは星選手なのですか?

星:そうですね。僕がこれをやりたいというのがあって。もともとはこういう名前でやっていたわけではなくて、“プレイングワーカー”という言葉は、エードットのPR部に所属して自分自身のプレスリリースを書いてみようとなったときに、“人に刺さるキーワード作る”という課題をもらって考え始めました。

ただ、今までいろんな人に言葉で想いを伝えることはしていましたが、文章で表現したことはなくて。自分をPRするためにプレスリリースを書く=行動で、それがプレイングワーカー育成プロジェクトとしてできあがった感じ。

とはいえ、プレイングワーカーとは何のことだ?となったときに「僕を見てもらえばわかります」って(笑)。というのを、まさに今やっています。

●続きはこちら→【インタビュー】元フットサル日本代表主将・星翔太…人材育成プロジェクトと競技への想い(後編)


ケガにより選手登録を抹消されていた星選手だが、2016年12月21日にバルドラール浦安より再登録が発表された。1月7日に浦安市総合体育館で行われるヴォスクオーレ仙台戦から公式戦復帰の予定だ。

●星翔太(ほし しょうた)
1985年11月17日生まれ、東京都出身。バルドラール浦安所属。暁星中学校サッカー部時代に全国制覇。一般入試で早稲田大学スポーツ科学部に入学。フットサルでは20歳で日本代表に選出。関東フットサルリーグのFUGA MEGURO時代は2009年に全日本選手権優勝を経験し、同年にバルラドール浦安に入団。2010年スペイン1部リーグに移籍。その後スペイン、カタールのクラブを経験。2012年ワールドカップ日本代表選出、2012、2014年アジア選手権を連覇するなど国際大会の経験も豊富。

《五味渕秀行》

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