595、585、586、三つ巴のLOOK論 vol.2 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

595、585、586、三つ巴のLOOK論 vol.2

オピニオン インプレ

「これからは“質”の時代だ!」byエンジニア(妄想)
乗り込むほどに旨味が滲み出てくる
バイクの評価がファースト・インプレッションから大きくずれることは少ないが、中には第一印象は感動モノだったのに限界領域に連れて行くとボロを出すものや、どうということのなかったものが、長距離を乗り込むにつれ、どんどんとよく感じられてくることもある。595は完全に後者だ。
乗るほどに595から旨味が滲み出てくるのは、595評論の核とすべきであろう重要な事実である。緩斜面でシッティングからダンシングに切り替えた瞬間の絶妙と言う他ないしなりとスピードの伸び方、そのときのしゃなりしゃなりとすり脚で進む美しい脚捌きには、頭がクラクラするほどの気持ちよさがある。
当初の 「肩透かし」 と束の間の 「がっかり」 は、表面的なものにすぎなかった。そこには、剛性と反応性のみを追求した585には見られなかった 「設計言語の推敲」 が感じられ、パイプのしなり・変形を 「排除すべきもの」 ではなく 「良きもの」 として積極的に取り入れてフレーム性能に活かそうという意図が見て取れる (それによって得られたノウハウは586の 「究極の洗練」 に繋がっている)。実際のところ595は、路面に対し驚くほどジェントルに、しかし極めて力強くパワーを放つ。
あえて585のようにはしなかった
585と595。
まるで別人が設計したようである。
同じ会社なのだから、同じカーボンラグ構造を持つ595も、585のようにパリッと弾けるバイクに仕立てることも出来たはずだ。しかも、さらなる予算が与えられた (販売価格が上=工場原価が高い) にも関わらず。要するに、LOOKのエンジニアはあえてそうしなかったのだ。
なぜか?
同じテイストを持つバイクを同時にラインナップしても意味がないというのがもちろんあるだろう。さらに、剛性番長585で思いっきり弾けることができたエンジニア達が、今度は 「走りの上質さ」 を追求してみたくなった、というのがもう一つの理由ではないか。これは、“カーボンフレームのパイオニア” たるLOOKの自負心からくるものでもあるだろう。一個人の予想に過ぎないが、595というフレームは、「これからは、“硬さ” でも “軽さ” でもなく、“質=ライド・クオリティ” の時代になる。“たわみのプロセス” がフレーム設計の核となる」という、エンジニアの観念・意識を具現化させたものなのだ。
それを証明するかのように、単純な切り口を持つ、まさに “水道管の継手のような” 585のラグに比べ、595のアウターラグ形状は入念に吟味されている。左右方向には長く張り出し上下方向には短いというその複雑な形状から、基本的なラグ設計思想は左右方向へのたわみを抑え、かつ上下方向 (衝撃の入力がある方向) には柔軟にしようと意図されたものだと推測してみる。新しさ・完成度で比較するなら595≒586≫585といったところだろう。

「かりそめの失望」から「上質さへの陶酔」へ
ここまで模範的に仕上がっているバイクは他にない
要するに、仮初めの 「がっかり」 の原因は、「激辛カレー (585) にしか刺激を感じなくなってしまった舌では、上質な京懐石 (595) の良さは分かりづらかった」 ということなのだと思う。
振動減衰性 (振動吸収性ではない) は586に僅かながら劣り、純粋な加速性能は585に一歩譲るだろう。しかし、乗る度に 「ウーン、いいね…」 としみじみ思わせてくれるバイクにはそうそう出会えない。乗り込むにつれて、最初に 「がっかり」 したのが、まったく嘘のように思えてくる。レーシングバイクとしてここまで 「上質」 に仕上がっているものは、他に類を見ない。そこいらのバイクとはモノが違う。それがだんだんと分かってくる。格が違う。完成度が違う。その違いに陶酔できる。
「善き道具」 としてのロードバイクが見せる模範的な振る舞い。無個性なのではなく、アクの強いバイク達の中で、595の静謐さが際立つのだ。本物の上質とは、これだ。595は、ようやく僕に真実の顔を見せ始めるのだった。
ならば、595に乗る前に585を買ったことを後悔しているかと言えば、全くしていない (といっても、もし金銭的空間的余裕があれば595を所有したいと思うか?という問いに対して、僕は即座に力強く、イェス!と答えるが)。なぜならこの2台には、全く違う性格が与えられているから。
585のサドル上で時折やってくる 「放出する快感」 のためだったら、僕は喜んで他の何かを我慢する。だがそれゆえに刺激が強すぎて、毎日乗ると精神的に疲れてしまうかもしれない、とオーナーである僕は感じたりもするが、595の 「上質さ」 には毎日ずっと触れていたい、と思う。
しかし595はいいバイクすぎて、ロード乗りの 「幼く純な衝動」 を頭ごなしに否定しかねない (それを鼓舞するのが585だ)。それは595の、唯一にして最大の欠点である。それを 「完璧でかわいくない」 と感じるか、「安心して飛ばせるから楽しい」 ととるかは、乗り手側が有する自転車観 (バイクに何を求めるか、人生におけるバイクの位置づけ) や、自転車史 (どんなバイクに乗ってきたか) による。
純粋主義者の585、完璧主義者の595
かつての 「LOOKの味」 を捨て、欠点が宿ることを承知で突出した長所を選んだ585。
585の欠点を埋めるべく、全方位的バランスの成立を目指した595。
その595をさらに洗練させ、一歩進んだ 「たわみのプロセス」 を持つ586。
刺激なら585、洗練なら586、上質さなら595。
総合点で買う595。単科最高点で見る585。
純粋主義者が作った585、完璧主義者が選ぶ595。
それぞれに意味があり、それぞれに存在理由がある。このような話はLOOKのレーシングレンジだけではないだろう。トップブランド各社 (各車) のカーボン技術競争が一旦落ち着きを見せたかのように思われる今、これから問われるのは、そして我々が話題にしなければならないのは、その 「作品性」 である。フレームが硬い柔い、加速スピードが速い遅い、重量が軽い重い、快適性が高い低い、ハンドリングが良い悪い…そんなレベルの低い二元論の数々は、とっくのとうにゴミ溜めに放り込まなければならなかったのだ。
トップレンジの各モデルには、超高性能車ならではの個々のレゾンデートルがあり、どれにも他には代えられない 「作品性」 が宿っている。プロでもない僕らがたかが自転車のフレームに何十万も支払うのは、そのフレームに宿る、そこにしかない、高尚な 「作品性」 に触れたいからである。
深遠なるハイパフォーマンス・ロードバイクの世界。その深さと、その未来がだんだんと見えてくる気がした。595がそれを見せてくれた。なんだか人生がもっと愉しくなりそうだ。

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