ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.1 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.1

オピニオン インプレ
ミステリアスな起源をもつイタリアブランド vol.1
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安井行生のロードバイク徹底インプレッション
安井行生プロフィール

エンデュランスロード界の革命児…か?
サーヴェロ、キャノンデール、トレック、ウィリエールらによる第二次軽量化戦争の真っただ中。「フレーム重量700g近辺でフツーに走る万能車を作る」というこの開発競争に、イタリアのボッテキアも695gという軽さを誇るEMME695で参戦した。しかし今は40万円弱で700g以下のスーパーシックスEVOが買える時代。同重量で約60万円というプライスタグを下げるEMME695に居場所はあるのか。
(text:安井行生 photo:我妻英次郎/安井行生)
ボッテキアというブランドは、いつもどこか気になる存在である。決して業界を牽引するビッグブランドではないが、ハンドメイドでトンがったレーシングフレームを作る。街中で見かけることはほとんどないのに、ジロの山岳ステージでは華奢なイタリア人レーサーが乗って勝ちまくっている。しかし、そんなイメージは近年になって構築されたものだ。
このブランド名の由来となったのは、1924、25年と2年連続でツール・ド・フランスを制覇したイタリア人レーサー、オッタヴィオ・ボッテキアという人物である。彼はイタリア人として初めてツール総合優勝を成し遂げた天才クライマーだった。しかし、フォンドリエストやチッポリーニ、メルクス、ムセーウのように、有名選手が現役引退後に自らの名を冠したブランドを立ち上げた…といういつもの美談はそこには存在しない。
1926年のツールを完走することなく終えた彼は、翌27年の6月3日、フリウリ地方ウディネ県の農道で、頭蓋骨を骨折し大量に出血した状態で発見される。病院に運ばれたものの、意識を取り戻すことなく、そのまま33年の短い生涯を閉じることとなる。
その死因は、86年経った今でも謎に包まれている。トレーニング中の落車によって致命傷を負った単独事故説、ファシストによる暗殺説、マフィアによる暗殺説、さらに畑のブドウを勝手に取ろうとしていたボッテッキアを農夫が撲殺したという証言や、痴情のもつれで殺されたという噂もあるそうだ。謎の死を遂げた天才レーサー。なんともミステリアスなエピソードではないか。
※彼についての歴史は、ヴェロマガジン日本版vol.1 (ベースボールマガジン社) に掲載されている 「オッタヴィオ・ボッテキアのミステリアスな最期」 という記事が詳しい。筆者も今回の原稿を書くにあたって参考にさせてもらった。興味がある人は一読をお勧めする。まだバックナンバーがあるはず。
彼の死後、自転車製造業を営んでいた友人のテオドーロ・カルニエッリが、彼の偉業をたたえて 「ボッテキア」 をブランド名に用いた、というのが自転車メーカー、ボッテキアの誕生の真実である。その後、多くの選手に愛されビッグレースで活躍してきたボッテキアのバイクだが、最も有名なのは1989年のツール・ド・フランスだろう。グレッグ・レモンが最終日のタイムトライアルで劇的な逆転勝利を決めたときに乗っていた赤と白のファニーバイク、あれもボッテキアだった。
その後、母体であったカルニエッリ社が倒産するなど資本が変わる紆余曲折もあったが、謎の死を遂げたレーサーの名前は現代にこうして残り、2013年の日本の道を走っている。不思議な由縁である。原因不明の死、固い友情、伝説の逆転劇、ブランド売却…ボッテキアとは、栄光の裏に薄暗い過去を背負っているブランドなのである。
なお、いかにもイタリア的なブランド名のカナ表記だが、「ボッテキア」 と記載するところもあれば、「ボテッキア」 や 「ボッテッキア」 と書くところもある。代理店担当者に聞いたところ、「本社の人間の発音が “ボッテキア” に近いので、ボッテキアで統一します」 とのこと。
長い歴史の中では浮き沈みもあったボッテキアだが、近年、アクア・エ・サポーネに機材供給しジロ・デ・イタリアで山岳賞を獲得するなど、レースシーンに再浮上する。それを性能面で実感したのは、一年ほど前だろうか。ボッテキアのEMME2 (2012モデル) に試乗し、久々に驚かされたのだ。なんだこの硬さは。なんだこの加速は。あれだけ硬い硬いと言われていたルック・585ウルトラの比ではなかった。十年近く前、配送の仕事でカレラのメルキュリオWBに乗っていたときの記憶が蘇ってきた。あの頃は毎日、階段を降りるとヒザがガクガクと笑うほどコテンパンにのされていたっけ…。2012モデルのEMME2は、ライトウェイト・オーバーマイヤーの乗り味をそのままフレームにしたような、洗練とは程遠い暴力的な乗り味で、強烈な印象を刻んでくれたのだ。
事情があってそのときの試乗は記事にならなかったが、この時代にこんな過激なフレーム作りをするブランドがあったのか、と驚かされたわけだ。そんなEMME2の後継車が発売されたと聞き、今度こそ記事にしようと試乗車を借り出したのである。

スペック
キャプション

奇しくもアレと全く同じ695g
車名はEMME695。2013シーズンにおけるボッテキアのフラッグシップモデルである。製造はモノコック製法ではなくチューブtoチューブ製法によって行われる。よってアップチャージは必要となるが、ジオメトリオーダーも可能だ。カタログにおける最大のウリが、車名にもなっているフレーム重量である。塗装前という但し書きは付くものの、キャノンデール・スーパーシックスEVOと全く同じ695gという重量に抑えられている。
製造から塗装まで完全メイド・イン・イタリアを貫いているのもEMME695の特徴だというが、本国生産を崇拝する時代でもない。イタリア生産にこだわる理由を聞いたところ、「機械で製造できるモノコックではなく、職人が1本ずつ自らの手で製造する方法を採っているため」 とのことだった。そのせいか、各社ハイエンドバイクが軒並み価格を下げている中で、EMME695が掲げるプライスタグは堂々の60万円オーバーである。
代理店が用意してくれたのは、最小サイズとなる44。まずジオメトリをチェックする。サイズラインナップは5種類とそれほど多くはないが、リアセンターなどの各数値はサイズごとに細かく変えてあり、真面目に設計されているという印象を受ける (価格を考えれば当然ともいえるが)。スローピングはかなりキツい。短いリアアンターも特徴だ。サイズ44のチェーンステー長は400mmと思い切った数字。シマノロードコンポーネントの変速性能保証 (405mm以上) を無視した攻撃的な設計である。その理由は、「より高い応答性を得るため」。
ロードフレーム、かくあるべし
フレーム各部を細かく見ていく。さすがにトップチューブとダウンチューブは薄く、強く握ると凹むが、発売された当時のクオータ・KOM EVOのように 「爪をたてるとプチッと割れるんじゃないか」 というような危うさはさほど感じない。
それにしてもシンプルな作りだ。昨今のハイエンドカーボンフレームのような形状上の工夫や異形加工は少ない。新規格といえるものはテーパードヘッドチューブやPF30くらい。角断面のチェーンステーや極薄シートステーが特徴といえば特徴だが、こちらも目新しいものではない。トップチューブはやや横楕円だがダウンチューブもシートチューブも断面形状は円に近く、しかも全てストレート。湾曲したチューブは一本もない。ワイヤーは外装だしピラーはノーマルしかも27.2mm径。エンドはカーボンだが薄いアルミ板でガードされている。直線で構成された凝縮感のあるスローピングフレームが必要最低限の塗膜を纏い、エグザリットを見事に履きこなす。デザインが饒舌にすぎる昨今のハイエンドバイクの中にあって、EMME695は静かだが凄みがある。独自性は少ないが、これぞレーシングバイク、という佇まい。ロードフレームとは、まさにこうでなくてはならない。
しかし、数年前のようにただ700gというだけで胸を張れる時代ではなくなった。スーパーシックスEVOが 「軽さ」 と 「超一級の走行性能」 は両立できるということを証明してしまったからである。もはや誰も軽いだけでは驚いてくれない。ただ695gというだけでは、評価はすれど誰も賞賛してくれないのだ。「結構頑張ったのね」 で終わり。スーパーシックスEVOの功罪は、かように大きいのである。さらにトレックは、マドン7で軽くても剛性を全く犠牲にしなくてもすむということを世に知らしめた。今となっては 「軽さ」 と 「高剛性」 も同居する。この 「超軽量万能フレーム」 という商品群は、今最もホットだが、同時に最も難しいカテゴリなのである。技術力が丸裸になるのだ。
だから、このEMME695評論の焦点とすべきポイントは、それら超軽量フレームの先行組と比べてどうなのか、そして超軽量万能フレームのベンチマークたるスーパーシックスEVO比で約20万円にもなる価格差を納得させられる性能を有しているのか、だろう。
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