「聖火の火は決して消えてはいない」竹田恆和JOC会長が東京五輪50周年記念祝賀会で挨拶 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

「聖火の火は決して消えてはいない」竹田恆和JOC会長が東京五輪50周年記念祝賀会で挨拶

スポーツ 短信
日本オリンピック委員会の竹田恆和会長
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1964年東京オリンピック・パラリンピック50周年記念祝賀会に参加した竹田恆和・JOC会長が挨拶として次のように述べた。

「皇太子陛下のご出席を仰ぎ、1964年東京オリンピック・パラリンピック50周年記念祝賀会を開催いたしますことは、誠に光栄であり、喜ばしく思います。

ちょうど50年前の今日、この日、1964年10月10日、絶好の秋晴れのもと、天皇皇后両陛下のご出席を賜り、アジアで最初のオリンピック・パラリンピックが東京で開催されました。

15日間に渡って繰り広げられたオリンピックの様子は、オリンピック史上初のテレビ宇宙中継によって全世界に放送され、まさにオリンピックムーブメントの祭典として、世界がひとつになりました。

10月24日に行なわれた閉会式でのお別れは、劇的で、大衆のみならず、全世界の人々の記録と心に残るものでした。それは整然と、開会式のように各国選手が入場してくるものと思っていたところに、各国の選手たちは係員の制止をふりきり、肩を組み、ひとつの大きなうねりとなって、トラックに入り込んできたというものでありました。

闘いを終え、尊敬し合い、国籍、人種、民族、文化の違いを超えた選手たちの喜びの笑顔は、まさに全世界がひとつになったその瞬間を象徴するものでした。

この時の、実況アナウンサーのとっさの言葉が、国境を超え、宗教を超えました。このような美しい姿を見たことがありません、というものでありました。

以降平和の祭典のひとつの象徴として、この閉会式のスタイルが各オリンピックでは踏襲されてきております。

オリンピック後、11月8日から7日間、第2回パラリンピック大会が開催され、24カ国から選手が参加いたしました。

実は、パラリンピックという言葉は、下半身麻痺者を表すパラプレジアという言葉と、オリンピックを合わせた造語として、この東京大会で生まれたものであります。

オリンピック・パラリンピックの成功は、多くの人々に希望と夢を与えました。

閉会式において、SAYONARAという文字が電光掲示板に浮かぶとともに、静かに消えた聖火の火は決して消えてはいません。日本国民の心に灯し続けられ、参加したオリンピアンの記録の中に灯し続けられ、そして、日本と世界のオリンピックムーブメントの発展とともに50年目の本日に繋がる火として生き続けてまいりました。

そして2020年には再び、この日本において、希望と感謝、平和の象徴であるオリンピックの火として、新たな聖火台に灯されることになります。

終わりになりますが、1964年東京オリンピックを成功させた関係者、選手のみなさまに改めて敬意を称するとともに、本日の祝賀会がオリンピックムーブメントと世界平和に寄与することを祈り、開会の言葉とさせていただきます」

《大日方航》

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