【アーカイブ2009年】ピナレロ FP7、自らを高めることに努力を惜しまない人が相応しい…安井行生の徹底インプレ | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【アーカイブ2009年】ピナレロ FP7、自らを高めることに努力を惜しまない人が相応しい…安井行生の徹底インプレ

オピニオン インプレ

フレームの限界は恐ろしいほどの高みにある








だからFP7がその本質を見せるのは、乗り手が歯を食いしばってハンドルを強く握り締め、筋肉を強張らせてペダルを本気で踏み初めてからだ。そういう走り方をしないとFP7の真価は見えてこない。のんびりと走っているうちは入力に対するレスポンスに暖かみがなく、感性に訴えかけてくるような部分は少なく、コミュニケーティブなライディングフィールは希薄だ。



だがそんなときでも、限界は恐ろしいほど高い、と感じさせる 「ホンモノ感」 だけは、痛いほどに、ひしひしと伝わってくる。それは、一般ライダーのレベル (僕を含めて) では限界の香りを微かに嗅ぐに留まるだろう、と思わせるほどのものだ。



その 「ホンモノ感」 に負けじと踏み込むと、FP7はライダーの本気度に呼応するように、密度の高い加速感をもってしてペダリングの一回転ごとにガーンガーンとスピードを上げる。本気モードで攻め始めると重さを感じなくなり、踏んだら踏んだだけキッチリと進む勇ましいバイクであることが分かる。



限界を少しでも覗いてみようと無理をして大きいギアを踏み込んだときに、ドンッと伸びる度合いが他のバイクとは違う。背後からパワーの洪水が襲い、思った以上の高速域にライダーを連れ去る。だから自分には不相応な重いギアを選んで走りたくなる。だからいつのまにか忘我の境地でライディングに没頭している自分がいる。そこにはあくまでも勝つための冷徹なレーシングバイク、という印象が強くあり、どこまでもナチュラルでイージーでファンだったFP3とは種を異にする。



これこそがFP7が51万円もする理由である。弾力性には乏しい。パンチが重い。コイツは胸板の厚いタフ・ガイなのだ。はっきり言って脚力のあるライダーしかその恩恵には預かれないだろうが、レーシングロードバイクとは、まさにそういう乗り物であるはずだ (もしくは、“あった” はずだ)。



FP7は、生半可な脚力の持ち主には易々とその真価を見せない。それはあまりにも毅然とした態度なので、このバイクはそのように振る舞って当然なのだ、という強い信念をピナレロのエンジニアが持っていたのだろう、と思わせる。要するにFP7は、健全で純粋無垢なレーシング・マインドに満ち溢れているのだ。







走りの要となるONDAフォークは最新スペックを纏っており、その高性能ぶりには乗るたびに舌を巻く。低速ではクイックになって機敏さを優先し、高速域ではスローになって安定性に重点を置くというように、ハンドリングのギア比が速度に感応して変化するような、不思議な感じもする。器用なセッティングだ。



だから敏捷な身のこなしをもっているにも関わらず直進安定性は特筆モノで、ただハンドルに軽く手を添えているだけで矢のように突き進んでくれる。スピードが高くなるほど安定感が増すというのは自転車という乗り物の物理特性からすれば当然だが、低速と高速の差異が他のバイクより大きく感じられる、ということだ。ダンシングでもスタビリティは高いままで、ヒルクライムやスプリントでハンドルを大きく振っても、真っ直ぐ走ろうという意思を持った生き物のように直進する。



対してコーナーでのハンドル応答性は、高速域の直安性からは想像できないほどに俊敏で、しかも狙ったラインの、1cm外側でも1cm内側でもなく、その真上を正確にトレースできる。そんな自在な回頭を、ONDAフォークは涼しい顔をして受け付ける。



制動力も文句のつけようのないものらしく、試乗車に装着されていた旧型レコードのキャリパーでは、残念ながらフレームとフォークの持つ制動ポテンシャルを十分に引き出すことすら出来なかった。



密度の高いものを踏んでいるような硬質な感覚があるのに、快適性は意外なほどに高い。不快な突き上げは完全には押さえ込めてはいないものの、不思議と不快にあらず。衝撃のエッジは、レース系ロードバイクとしては十分に丸められている。







高速域で真価を発揮するピナレロ流の実力主義車







平凡な車名がダウンチューブにデカデカと入るグラフィックのセンスは、好みの問題もあり、不問に付すとしよう。そこには同じ金型を使用するFP3との明確な差別化という意図もあるのだろう。好き嫌いは個々の意見に委ねたいが、グラフィックだけでは一見してピナレロだと分からないところも、スタイリストの粋な遊びに思えてくる。むっちりと柔らかく艶やかなフレームにかつてのロードバイクの端正な美しさや工学的な潔さはないけれど、グラマラスで妖艶に美しい肢体には圧倒的な存在感があり、街中でイイ女を見かけたときのように 「オッ!」 と思わず目がいってしまう。オトナのサイクリストが走らせるには少々派手すぎることが欠点といえば欠点か。このシャンパンゴールドは純粋にカッコいい。担当者から日本上陸の予定がないカラーだと聞いて、僕は落胆した。



セールストークをそのまま鵜呑みにするのはなかなかに悔しいことだが、プリンスカーボンに近いハードな性能が出ていることは素直に認めよう。僕程度の者が走らせたところで、2車の性能差は微々たるものにしか感じられないのが現実であり、価格に差はあれど、同門の好敵手だといえる。しかしピナレロが機材を供給する愛三工業レーシングの西谷選手に 「高速巡航性はFP7の方がいいように思うが、ここイッパツのスプリントではプリンスが絶対的な性能を持っている」 と語らせるあたりに、FP7がプリンスへ抱く敬意が感じとれる。カーボンという素材を自在に操り始めたピナレロの適応力に、改めて感心した次第である。







しかしそんなバイクだからこそ、ボンヤリと走っていては、バイクが持っている時計の針の進み方が、現実世界のそれと一致しない。コンバットモードになって初めてFP7の時計の針と、現実の時間の流れがカチリと噛み合う。速度を上げれば上げるほどピントがシャープになり、本来のあるべき姿と実態とがピタリと一致する。FP7のリズムは高速域で合うように設計されているのだ。



ナチュラルでファンでライダーに向けて多様な楽しみ方を提示してくれるFP3が 「開かれた」 バイクだとすれば、ストイックに速さを求道する姿勢を崩さず、乗り手にもそれを強要するFP7は 「閉じた」 バイクだといえるかもしれない。



FP3やFP6において万能性と引き換えにインシュレートされてしまったものが、FP7には 「剥き出しの機械作動感」 として残っている。だから最近のロードバイクを褒めたたえるのに今や必要不可欠のように使われる 「しなやか」 とか 「滑らか」 という言葉は浮かんでこないけれど、男らしく雄々しい走りを当たり前のように、まるで当然のこととしてやってのけるところに、FP7の真価はある。それを理解できないままでは、残念ながら、それはちょっと目を引くだけの、ただの高価なオモチャにしかならない。FP7の要求するスタイルで挑み、走らせ、そうして初めて本当の価値が見えてくる。だから、前述した軽快感欠落ゾーンを単なる過渡域として処理できるような人、そんな走りをあたりまえのこととしてやれる人 (と、そんな人になりたいと願って自らを高めることに努力を惜しまない人) が、乗り手としては相応しい。



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