【自転車ドーピング問題】アームストロングをUCIが優遇していた…ドーピング疑惑に徹底的な調査を行わず
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
UCIから独立した機関として、ドーピング事件の調査を行ってきたCIRC(自転車競技独立改革委員会)。その報告書「CIRCリポート」は227ページの膨大な量におよぶが、中でもアームストロングに関しては多くのページが割かれている。
1999年~2005年にツール・ド・フランス総合7連覇を達成したものの、後にドーピングを告白したアームストロング。すべてのタイトルをはく奪され、自転車界から永久追放処分を受けている。
しかし当時のUCIは、1998年に起こったフランスチームのドーピング事件、いわゆる「フェスティナ事件」の後、アームストロングを自転車界の救世主として祭り上げようとしていた。
アームストロングはロードレース界で新大陸だったアメリカからやってきて、さらにガンを克服した英雄として、メディアを通して世界的スターへと成長していた。当時のUCI首脳部がアームストロングを優遇し、擁護・保護していたとみられる例がいくつかある。
1999年ツール・ド・フランス、ドーピング研究所の調査結果でアームストロングに禁止薬物EPO使用の疑いが明らかになった。陽性反応ではなかったが、その強い兆候があった。しかしUCIはドーピング調査官の提案を退け、その後は再検査や詳細な捜査が実行されることはなかった。この結果、アームストロングの疑惑がドーピング有罪となることはなかった。
この他にも、報告書の中ではUCIがアームストロングを優遇していたと見られる証言がいくつか明らかとなっている。
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