日本初開催であることに加え、アジア人としては初のエアレースパイロットとなる室屋義秀が参加することから、日本での注目度はうなぎのぼりに上がっている。初日は小雨がときおり降るような天候にも関わらず6万人もの観客が訪れたという。
しかし、ネット上ではこのような声が上がっていることを編集部は目撃した。
コンビニにコピーついでに買ってきた
レッドブルパッケージが変わってた
室屋義秀って誰だ? pic.twitter.com/CG8sdM8M6x
Shangri-La@OORer (@4z69fer72) 2015, 5月 7
確かに、レッドブルのパッケージが室屋義秀氏に変わっているが、航空業界に興味のない方は室屋氏の情報に触れることも多くなかったかもしれない。せっかくなので、日本初開催となる今大会に、日本人として唯一参戦する室屋氏を応援するために、この機会に彼のことを知っておこうではないか。
■壮絶な下積み時代
中央大学時代に航空機部に所属、グライダーをスタートに空の魅力にとりつかれ、大学在学中にアルバイトで貯めた資金だけで単身米国に乗り込んで航空免許を取得したという室屋氏。
しかし、飛行士としての歩みは決して順風なものではなかった。資金も実績もなく、スタートはたった一人から。機体購入は全額借入でまかない、スポンサー回りの生活から始まったという。
やがて資金が枯渇し、練習する燃料費も出ないほどに追い込まれることに。実績もないため、国内でのエアショーのオファーもほぼゼロ。窮地に陥り、出した答えが、無償でエアショーを行うという作戦だった。なんとか燃料代を確保し、フォミュラーカーの会場で曲技を披露したのが2002年。そうして実績を作り出したことが功を奏し、徐々にエアショーのオファーが増えてきたという。
紆余曲折を経て、挫折を乗り越え挑戦し続けた結果、地道な努力は功を奏し、2008年、アジア人初のレッドブル・エアレース・パイロットに抜擢され、翌年2009年には6位入賞。2013年には、ついに世界曲技飛行選手権フリースタイルで6位入賞。さらに、2014年には、レッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップで初の表彰台を獲得(3位)。これにより名実とともに室屋義秀は世界のトップパイロットとして認められることとなった。
(室屋義秀公式ウェブサイト参考 http://www.yoshi-muroya.jp/)
■レッドブル・エアレースでの戦績と今年度への期待
今ではアジア人初のレッドブル・エアレース・チャンピオンシップに参戦することのできる実力と評価を得ている、”ヨシ”の愛称で愛されている室屋義秀は、今年4年目のシーズンを迎える。レース本番での好不調の波が大きい選手だ。
その対策として、室屋はエアレースの過酷なGに耐えうる肉体作りのためのハードトレーニングを続けるだけではなく、レース前には心身を落ち着かせるための座禅による瞑想も欠かすことはないという。2010年のシーズンでは度重なる機体トラブルに見舞われ、数レースの欠場を余儀なくされながらも、鍛え上げた強靭な精神力であくまで楽観的な姿勢を崩すことはなかった。
2014年はクロアチアの第2戦で過去最高順位の3位となり、自身初の表彰台を経験している。2015年、自国開催でもある今大会で、初優勝が期待される。