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【THE REAL】背中で語るキャプテンシー…阿部勇樹に導かれた浦和レッズの無敗ステージ優勝

オピニオン コラム
阿部勇樹 参考画像(2015年2月19日)
阿部勇樹 参考画像(2015年2月19日) 全 9 枚 拡大写真
3日後の3月7日。敵地Shonan BMWスタジアム平塚で行われた、湘南ベルマーレとのJ1開幕戦。1点のビハインドを怒涛の3連続ゴールではね返し、難産の末に手にした白星が快進撃の幕開けを告げた。

12勝5分け。一度も首位の座を譲ることなく、最終的には2位のFC東京に勝ち点6差をつける独走でゴールテープを切った軌跡は、阿部の勇気ある行動に導かれたといっていい。

まずは「ひとつ」勝つ。あるいは「ひとつ」になる。突き立てられたひと差し指には、こんなメッセージが込められていたのだろう。

チームとサポーターの絆をつなぎとめた魂の叫びを、阿部は照れ笑いを浮かべながらこう振り返る。

「あそこでバラバラになるのが嫌だった。僕たちはプレーでしっかりと見せる責任があるし、一緒に戦っているからああいうのが出たと思っていたので。サポーターには熱い思いを言ってもらえたし、僕たちの思いも伝えないといけなかった。いろいろとあったというか、コミュニケーションを取れたという点ではすごくよかったと思う」


2011年レスター・シティ時代の阿部勇樹

約1年5カ月在籍したイングランド2部のレスター・シティとの契約を解除し、古巣レッズへの移籍を決めたのは2012年1月22日。復帰を決断させたのは、親しみを込めて「ミシャ」と呼ばれる、就任したばかりのミハイロ・ペドロヴィッチ監督の存在だった。

「ミシャと一緒にサッカーをやりたいという思いで、向こうから帰ってきた。サッカーの楽しさというものをあらためて教えてくれた監督でもあるし、ミシャが喜ぶ姿を見たかったというのもある。何よりもミシャがきてから、チャンスがありながら(恩を)返せていなかったので、タイトルを贈れてよかった」

キャプテンという大役とともに、指揮官からは戦術上で要となる役割を託されている。

基本布陣の「3‐6‐1」からマイボールになったときに「4‐1‐5」に転じる「可変システム」を、ペドロヴィッチ監督はそれまで指揮を執ったサンフレッチェ広島からレッズにもち込んだ。

可変の判断を下すのは、ふたりで組むボランチのひとり。マイボールになった瞬間に最終ラインに下がってビルドアップに参加し、ワントップを中心にふたりのシャドー、そして左右のワイドで形成される実質的な「5トップ」を最後尾から操る。

守備力だけでなく、展開力、キープ力、運動量、高度な戦術眼とあらゆる能力が求められるキーマンに指名にされたことが、阿部をして「サッカーの楽しさというものをあらためて教えてくれた」と言わしめる。

タッグを組んだ最初のシーズンこそ3位に食い込み、2011年シーズンにはJ1残留争いを強いられたレッズを建て直した。しかし、完全復活の証となるタイトルだけは手が届きそうで遠かった。

【阿部勇樹に導かれた浦和レッズの無敗ステージ優勝 続く】
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《藤江直人》

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