【ラグビー】大友信彦がワールドカップを振り返る「1995年南アフリカ大会」
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ラグビーワールドカップの歴史第3回で紹介するのは、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃後、南アフリカが初出場と開催国を務めた1995年南アフリカ大会。以下、大友さんによる紹介だ。
【ラグビーワールドカップの歴史】1995年第3回大会
「スローガンは『ONE TEAM, ONE COUNTRY』南アフリカ代表スプリングボクスが悲願の頂点」
アパルトヘイトを撤廃し、国際交流の舞台に復帰した南アフリカが、初出場でホストを努めた大会。開会式と閉会式には、前年に行われた初の全人種参加選挙で誕生したマンデラ大統領が登場し、民主国家として生まれ変わった南アフリカを世界にアピール。開幕戦では、そのホスト国が、前回覇者のオーストラリアを破るという最高の滑り出し。
そのまま勝ち続けた南アフリカは、準決勝では豪雨の中の戦いでフランスに競り勝ち、結晶では大会のスターとなった196cm120kgの怪物WTBロムーを擁するニュージーランドと激突する。お互いにノートライのまま、大会史上初の延長戦へ突入。延長後半1分、南アフリカSOストランスキーのドロップキックが決勝点となり、南アフリカが初出場、初優勝を飾った。WTBチェスター・ウイリアムズは、チームで唯一の非白人選手として、新生南アフリカの象徴となった。
小藪監督率いる日本はウェールズとアイルランドに敗れ、1次リーグ敗退が決まった後の最終戦でニュージーランドと対戦し、17-145という大会記録となるビッグスコアで惨敗した。
■日本代表の成績(プール予選3敗)
監督:小藪 修 主将:薫田真広
日本10 - 57 ウェールズ
日本28 - 50 アイルランド
日本17 - 145 ニュージーランド
《美坂柚木》
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