直前に交代でピッチへ投入されていた善朗が、ドリブルでペナルティーエリア内へ侵入。ひとりをかわしてから、迷うことなく右足を振り抜いた。
地をはうような一撃が、ゴールの右隅に突き刺さる。すでにFW菅嶋弘希との交代でベンチへ下がっていた大輔は「来たっ!」と叫び、次の瞬間、ちょっとした異変に気がついた。
「よく見たら(菅嶋)弘希がすごく喜んでいたので、善朗のゴールじゃないんだ、と思いましたね」
実は善朗のシュートを、菅嶋が足で巧みにコースを変えていた。もっとも、菅嶋がオフサイドポジションにいたため、小学生年代からヴェルディで切磋琢磨してきた大輔の同期生のプロ初ゴールは幻となる。
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高木大輔 参考画像
スタジアムへの不思議な縁を感じながら、いまが伸び盛りの大輔は思いを新たにしていた。
「弘希が触らなければアベックゴールだったかなと。やはり三ツ沢には何かあるのかなと思いましたけど、ホームでそろって決めてくれという、サポーターの方々の願いもあったのかもしれませんね。お互いに攻撃的なポジションだし、僕がゴールを決めれば善朗も点を取りたいという気持ちになるでしょうから、それを誘発するような活躍をもっと、もっとしていきたい」
3兄弟の父親が、プロ野球の横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)で俊足巧打の内野手として活躍した高木豊さんなのを知らないサッカーファンは、おそらくいないだろう。
現在は解説者を務める高木さんは、その豊富な知識からサッカー解説を担当することもある。もっとも、ここで素朴な疑問が残る。3兄弟はなぜ父親が愛した野球ではなく、そろってサッカーの道を選んだのか、と。
答えは1990年代のなかごろ、産声をあげたばかりのJリーグが爆発的な人気を呼んでいた時期にさかのぼる。1994年シーズンを最後に引退した高木さんは、まだ幼い俊幸と善朗を連れて、Jリーグを観戦している。
現在は取り壊されてしまった旧国立競技場のスタンド。対戦相手こそ覚えていないが、脳裏に刻まれているセピア色の記憶を俊幸から聞いたことがある。
「ヴェルディのレプリカのユニホームを着て、応援していました」
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高木善朗 参考画像
Jリーグ元年から連覇を達成するなど、黎明期をけん引したヴェルディが放つ輝きに、俊幸と善朗は魅せられた。ラモス瑠偉やカズに代表される、スーパースターの一挙手一投足に憧憬の念を抱いた。
地元・横浜市のあざみ野F.C.からヴェルディの育成組織へ。小学生年代のジュニアからジュニアユース、ユース、そしてトップチームと階段を駆け上がっていった兄を追うように、大輔も同じ道をたどった。
子どもが自らの意思で選んだ道を尊重することが、高木さんの教育方針でもあった。そして、レッズでダブルシャドーの一角を担う俊幸を含めて、3人全員がスピードを武器のひとつに携えながら成長してきた。
1984年シーズンに盗塁王を獲得。一世を風靡した「スーパーカートリオ」にも名前を連ねた父親のDNAを受け継いでいる証となるが、大輔は「タイプが違いますね」と屈託なく笑う。
「俊幸はボールをもったときのほうが速いし、善朗はボールに寄せるスピードが速い。僕は相手の最終ラインの裏などに、一瞬で抜け出すスピードがあるといった感じですね」
【東京ヴェルディを輝かせる高木善朗&大輔 続く】