モンバントゥー(Mont Ventoux)は、ピレネーにもアルプスにも属さない南フランスの独立峰だが、有名な伝説が生まれた場所として人々の記憶に残っている霊峰にほかならない。標高1912mと、それほどの高さではない。上りのキツさもそれほどではない。しかし一度この山岳に足を踏み入れると、立ち込める霊気にゾッとするはずだ。
昆虫学者のファーブルが生涯30回も登ったという山岳は、セミ時雨が聞こえるプロバンス地方にあって特異な景観と異様な雰囲気に満ちあふれているのだ。森林限界でもないのに草木が朽ちて、直径30cmほどの白いガレキが白骨のように敷き詰められる。地中海から吹くミストラルにより真冬は豪雪地帯となる。

モンバントゥー(プロバンス)
頂上より2kmほど下ったところにひとつ墓石がある。
「トム・シンプソン。オリンピックメダリスト、世界チャンピオン。1967ツール・ド・フランス、7月13日、ここに死す」
かつてレース中に昏睡したイギリス選手が命を落としたところなのである。1937年11月30日にヨークシャー州ハートワースで生まれたシンプソンは、1959年にプロ選手となった。1961年にはツール・ド・フランドルで優勝。1962年のツール・ド・フランスではイギリス選手として初めてマイヨジョーヌを着た。総合成績は6位。その後も1964年にミラノ~サンレモ、1965年にジロ・デ・ロンバルディアで勝ったが、30歳が近づくにつれ、持ち前のスプリント力にかげりが見え始めていた。

モンバントゥーの前日、7月12日のシンプソン
1967年、春先のパリ~ニースで総合優勝したシンプソンは、ツール・ド・フランスのメンバーに選出された。しかし彼を取り巻く環境は前年とはまったく違うものだった。この年、最高権威ジャック・ゴデの気まぐれでツール・ド・フランスは、かつてあったナショナルチーム形式でのレースに逆戻りしたからである。えり付きジャージの肩にユニオンジャックを縫いつけたシンプソンは、文字どおり国家の威信を肩にかけて出場していた。しかもモンバントゥーに登る前日、シンプソンは監督から来年度の契約を更改しない最後通告を受けていたという。
翌日のモンバントゥーは気温40度を超える猛暑に見舞われた。総合優勝をねらう有力選手の集団から脱落したシンプソンは、徐々に蛇行を始め、沿道の観衆に抱きすくめられながら道ばたに倒れ込んだ。その場の雰囲気はよくありがちなアクシデントだったが、ヘリコプターで搬送されたアビニオンのホテルで元世界チャンピオンは息を引き取ったという。
■番外編・登場回数は少ないが走ってみたいアニェル峠(アルプス)
フランスとイタリア国境に位置するアニェル峠(Col d’Agnel)は2008年と2011年のツール・ド・フランスで越えた。登場回数こそ少ないものの、サイクリストにとってほどよい勾配値と絶景が楽しめるルートなのでオススメだ。

アニェル峠(アルプス)