若かりし頃の自分を、佐藤は苦笑いとともにこう振り返る。
「プロになって最初のころはまず試合に出て、限られた時間の中で結果を残さなければいけなかった。もちろんコンスタントに力を発揮できていたわけでもないし、その意味で精神的な部分では、どちらかと言えば不安定な状態でシーズンを戦っていたと思う」
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ターニングポイントは2006年10月22日。現時点で唯一となる累積警告による出場停止処分を受けて、J1残留を争っていたセレッソとの大一番に出場できなかったことだ。
結果は2対4の完敗。佐藤を欠いた最前線では、本来はトップ下を務める柏木陽介(現浦和レッズ)がもがき苦しんでいた。敵地で必死に戦うチームメイトを広島市内の自宅でテレビ越しに応援した佐藤は、責任を痛感するとともにある決意を固めている。
「最終ラインや中盤の選手がピンチにおいてチームを救うためにファウルを犯して、イエローカードをもらうことはある。でも、自分の場合は審判への異議にしろ、遅延行為にしろ、反スポーツ的行為にしろ、すべてが不必要。ファウルの次元が違った。ストライカーはイエローカードをもらうようなファウルをしてはいけない、出場停止処分を受けてはいけないとあのときに強く思ったんです」
FWとして決して恵まれているとは言えないサイズで、J1歴代2位となる「156」ものゴールを積み上げてきた。今シーズンは6月にJ2を含めた通算ゴールが「200」に、7月には12シーズン連続となる二桁ゴールにも到達した。いずれも前人未踏の大記録だ。
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「ニアサイドに飛び込めば何かが起こる」
恐怖を感じる前に体を突き動かす。小さな体に勇気と闘志を凝縮させたプレースタイルを身上としてきた。当然ながら、ゴール前では自分よりも大柄で屈強な相手ディフェンダーが体を張って死守してくる。厳しすぎるマークの前に何度もファウルで削られ、ピッチの上に転がされてもきた。
それでも、悔しさと無念さを味わわされた出場停止の一件を境に、佐藤は「熱くなっても感情的にはならない」というポリシーを常に自らに言い聞かせてきた。
「もちろんイライラもするし、何クソと思うこともありますよ。それでもFWがやり返すことは絶対に許されない。自分の中でコントロールしないといけないんですけど、ストレスを自分の中に溜め続けるのではなく、正当なプレーで返すんだ、というエネルギーに変えますね。自分はFWなので、ゴールで返すのが一番。どうだ、見たか、という感じでね」
抜群のポジショニングと味方とのあうんの呼吸、そして相手ディフェンダーとの駆け引きからゴール前のスペースに飛び出してはゴールを陥れる。
【サンフレッチェ広島・佐藤寿人がフェアプレー精神を貫く理由 続く】