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【THE INSIDE】野球界の人事異動、ビジネスとして見つめるプロ野球…球団変遷編

オピニオン コラム
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日本のプロ野球の歴史は、1936(昭和11)年にスタートする。その2年前にベーブ・ルースやルー・ゲーリックらがメンバーの全米選抜野球チームが来日し、東京六大学の選手が中心となって全日本チームとして戦っている。

試合が興業的に成功したことで、主催した読売新聞社が大日本野球倶楽部を誕生させた。それが現在の読売巨人軍の前身となるのだが、チームができれば当然国内にもその相手が必要となる。

■当初は電鉄会社や新聞社が支えたプロ野球

折しもリーグ発足の機運が高まり、翌年に阪神電鉄が親会社となって大阪タイガースが誕生。追うようにして名古屋軍(新愛知新聞)、東京セネタース(西武電鉄)、阪急(阪急電鉄)、大東京(国民新聞)などが発足していく。こうしてプロ野球は電鉄会社や新聞社が背景となってスタートした。当時は職業野球と呼ばれたが、名古屋軍を例を取れば新愛知新聞の河野安通志常務が球団代表を兼務するという形だった。

こうした形で職業や球団は成り立っていった。それが戦争での中断なども含めた80年近い歴史の中で、親会社企業も変遷を遂げていった。読売の巨人、新愛知新聞が金鯱軍を保有していた名古屋新聞と(吸収)合併する形で中部日本新聞となり今日の中日新聞に至っている中日、甲子園球場の施工主でもある阪神電鉄の阪神、これら3球団はそのまま現在に引き継がれている。そういう意味で3球団は老舗と呼ぶにふさわしいだろう。

■変わりゆく球団の経営母体

近年の12球団の親会社を見てみると、新聞メディア系は老舗の巨人と中日のみ。電鉄も阪神と、かつての西鉄からの流れの西武だけだ。食品・飲料系として日本ハムとロッテ、ヤクルトの3球団がある。

発足時からの市民球団の色合いを保ちつつ地場産業のマツダが支援している広島と、阪急を引き受け、さらには近鉄も吸収合併した形のオリックスは特殊な存在ともいえようか。そして、今をときめくIT系企業がソフトバンク、楽天、DeNAの3球団。あたかも今日の産業バランスを保つかのように、親会社も多岐に飛んでいる。

球団の経営母体の変化とともに、球団のあり方というか体質も変化してきているのは正直なところであろう。近年はメジャーリーグ流の球団経営方法とでもいうのか、監督を含めた人事のチーム編成から新戦力の獲得交渉、あるいは選手の年俸管理といった球団に関わる全てのマネジメントを担う、ゼネラルマネージャー(GM)という役割を置く球団も多くなってきた。

■ゼネラルマネージャーの誕生

もっとも、こうした編成業務は従来は親会社からの役員が出向という形で担うことが多かった。それが今日では球団のGMという肩書きで、プロ野球選手や監督経験者が担うケースが増えてきた。日本でGMという肩書きを最初に持ったのは1995年のロッテ・広岡達朗だった。

しかし、それ以前にもGM的役割を果たしていた人物はいたわけだ。その最たるものが西武の黄金期を築いた根本陸夫元監督であろう。監督時代から、阪神の主力打者で看板スターの田淵幸一をトレードで獲得するなど、大胆な戦力整備と編成にその能力を発揮。監督を辞してからは球団管理部長という肩書きで、ドラフトでは世間をアッと驚かせる戦術を何度も使ったり、思い切ったトレードの実施などで注目を浴びた。

1993年にダイエーに移ると、監督を務めながら王貞治監督誕生への下地を作り、「ONで日本シリーズをやってみないか」の口説き文句で王監督を招聘した。自らは球団専務となり、やがて球団社長へと就任していった。まさに、選手監督時代よりも背広組として圧倒的な存在感を発揮し、その是非はさまざまな意見はあろうが、間違いなくGM的役割を果たしていた。日本的GMの先駆けだったのではないだろうか。

■ゼネラルマネージャー果たす役割

現在では楽天の星野仙一前監督が副社長という立場ながら、基本的にはGM的な役割を担っている。梨田昌孝新監督を招聘したことにも影響力を与えているし、ドラフトなどの新戦力獲得には必要不可欠となっている。もともと星野副会長は監督時代には中日でも阪神でも大型補強で実績を作ってきた人である。それだけに、どうやって選手を獲得していくのかという点においては、まだまだこのオフの台風の目として目が離せない存在となりそうだ。

一方、文字通り"ゼネラルマネージャー"という肩書でその存在を示しているのが中日の落合博満GMである。球団への暦年の功績云々とは関係なく、非情ともいえるくらいの大胆人事で、大型トレードや放出を断行していった。その功罪は賛否分かれるが、少なくともGMというポジションが果たす役割は明快に示しているといえようか。

また、阪神では2012年8月から中村勝広元監督が球団初のGMに就任していたが、今年9月に遠征先で急逝。66歳だった。それだけ精神的には激務だったということであろうか。阪神は後任を置かずにGM職を廃止している。

《手束仁》

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