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休職した末につかんだ「プロになる」という夢…サムライフットボーラー

オピニオン ボイス
菊池康平(きくちこうへい)さん
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---:どういった会社を受けましたか?

菊池:とにかく知っている会社を受けました。トヨタだったり、日産だったり…。まずは飛び込んでみること。「行ってみないとわからない」ので。行ってみると、なんとなくですが働いている人の雰囲気も分かります。仕事の説明などは勉強になりました。「羨ましいな、いいな」とさえ感じました。

いい雰囲気の会社の社員さんは「楽しく働いていそう」なんですよね。昔から「社会人になったらしんどい。泣きそうになりながら働いて、土日だけを楽しみに過ごす」みたいな印象があったんです。

でも、本心かはわからないのですが、「学生時代より今の方が面白い」と言っている人が沢山いて、とても魅力的に見えました。その中でもチャンスをいただけそうな企業だと感じたので、パソナに就職を決めました。

■休職して再び海外へ

---:社会人になってからの競技生活は?

菊池:学生生活最後の挑戦だったシンガポールで燃え尽きていました。週に1回プレーするくらいで。ですが、会社員になってからも毎年、1週間の長期休みに海外に行って"道場破り"をしていました。

学生時代と同じことをやっていたわけです。コネも何もないところに飛び込み、交渉して練習に参加。非常に労力がかかるのですが、その分能力が格段に鍛えられる方法だと感じていました。そういう感性が錆びるのがイヤだったので、継続したんですね。

みんなは休みをバカンスに費やしているのに、僕はダニまみれの安宿に泊まってサッカー場を探し歩きました。これを入社後3年間続けたのですが、やはり「1週間じゃ無理」と気づきました。道場破りを続けているうちに、プロになりたいという気持ちに再び火がついてきていたのです。4年目には「1年間休ませてくれ」と会社にお願いしました。



1年間休職して、まずトライしたのは因縁のシンガポールでした。アルビレックス新潟シンガポールが選手を募集していたので、早速参加してみました。最初に組んでもらったのが"ミスターグランパス"岡山哲也選手で、緊張して何も話せなかったのを覚えています。

練習はついていくのが精一杯でした。気温は熱いし、それまでの社会人生活のツケもあって、自分をアピールするところまでは到底いかなかった。何もできず、本当にキツくて…。でも、ここでスイッチが入りました。社会人モードから選手モードに。

その後、南米に渡り、パラグアイを経てボリビアに入国しました。ただ、ボリビアでは最初の練習試合の前夜に食中毒になり、一泊入院した翌日に試合に向かったんです。入院して休んでいたこともあって体は軽くなっていたし、いい意味で開き直れて、緊張も解けていたので生涯で一番いいプレーをすることができた。

その試合をたまたまオーナーが見ていて、「お前はすごい、明日契約だ」と言ってくれてトントン拍子に話が進みました。

この休職期間に書いていたブログのタイトルが『1勝12敗日記』なんですが、これは文字通り「12カ国挑戦してプロになることはできなかったが、13カ国目でついにプロになることができた」という意味です。

結論を言いますと、結局試合に出ることはできなかったのですが、ついにお金をもらってサッカーをする、つまり「プロになる」という夢を叶えることができたのです。

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その1、世界で戦うサムライフットボーラー、プロを目指したその先に「宝物」
その2、休職した末につかんだ「プロになる」という夢…サムライフットボーラー
その3、「前向きに挑戦すればなにかが残る」退職後のキャリアデザイン
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《大日方航》

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