澤穂希、苦難の道のりも「サッカーを嫌いになったことは一度もありません」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

澤穂希、苦難の道のりも「サッカーを嫌いになったことは一度もありません」

スポーツ 選手
澤穂希の引退会見(2015年12月17日)
澤穂希の引退会見(2015年12月17日) 全 5 枚 拡大写真
12月17日に引退会見を開いた女子サッカーの澤穂希(INAC神戸レオネッサ)。「20年以上にもおよぶ現役生活の中で、最もつらかったことは?」の質問に、アテネ五輪アジア予選を挙げた。

予選敗退の瀬戸際にヒザの負傷も重なった当時を、「つらかったのは2004年のアテネ五輪予選。北朝鮮に勝たなければアテネに行けないという大事な試合のとき、私自身もヒザのケガで出場が危ぶまれ、ストレスでじんま疹ができました。その時が大変だったかなと思います」と振り返る。

危機的な状況を乗り越えられたのは仲間のサポートがあったからと話す。

「手術するくらい大きなケガでしたし、アテネのオリンピックに行けるか、今後の女子サッカーはどうなるという不安もありました。でも、やっぱりその時も一緒に戦ってきた仲間がいました。私のリハビリを手伝ってくれたドクターやトレーナー、苦しいリハビリも仲間が一緒に走ってくれ、それで乗り越えることができました」

仲間からかけられた言葉で最も印象に残っているのは、何気ない一言だという。

「行けるか行けないか分からないときの『絶対大丈夫』という一言、その一言で頑張れたりする。私自身も後輩が緊張していたりするときは、『大丈夫だよ』と声はかけるようにしている。『大丈夫だよ』の一言は私にとって大きな励ましの言葉です」

澤は会見で繰り返し仲間の重要性、仲間がいたから自分は現役生活を続けてこられたと話した。最高の仲間とつかんだ、これ以上ない栄誉が2011年ドイツワールドカップ(W杯)の優勝だ。サッカー人生で最もうれしかった瞬間に、W杯優勝を挙げた。

「最高だった瞬間は、やっぱり2011年のドイツW杯で優勝したことです。日本女子サッカーの歴史を変えた日でもあるので、私にとっても日本女子サッカーにとっても忘れられない1日だと思います」

現役生活はいい時ばかりではなかったと振り返る澤。それでも会見では「サッカーを嫌いになったことは一度もありません」と晴れやかな顔で言いきった。

《岩藤健》

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