「努力は報われる」。でもそういう意味じゃない。ボート 中野紘志(新連載 アスリートブログ) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

「努力は報われる」。でもそういう意味じゃない。ボート 中野紘志(新連載 アスリートブログ)

オピニオン コラム
ボート 中野紘志 参考画像(c)Getty Images
ボート 中野紘志 参考画像(c)Getty Images 全 5 枚 拡大写真
ボート日本代表候補に名を連ねる中野紘志選手。リオデジャネイロ五輪を目指し、競技に打ち込む。ボートというマイナースポーツに全てを捧げるため、ボート一本の生活にシフトした。

退路を断ち、マイナースポーツのボートに生きる中野選手の戦いを、コラムとして記録していく。


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一番右が中野選手



■「努力は報われる」。でもそういう意味じゃない


努力には2種類ある、と思う。そしてその2つをしなければ結果はでないと思う。

その2つとは、「探す努力」と「する努力」だ。私たちが「努力は報われる」と言った時、だいたいが、後者だけの意味で用いられ、前者は忘れられている。だが、両方の努力がない限り結果は出ない、と思う。

例えば、「100mを10秒以内にゴールしたい」となった時、どうすればいいだろうか。

激しいトレーニング、規則正しい生活、食生活、いろんなことが思い浮かぶが、最も現実的なのは「フェラーリを借りる」ことらしい。全く話が違ってくるのだ。

つまり「100mを10秒以内にゴールする」には、フェラーリ所有者を探すことと、それをレンタルする費用を稼ぐことが手段になる。

もちろん陸上競技において、そのルールとして、身体の他に使っていいのはユニフォームとスパイクとその他諸々だけだろうから、この話は現実的ではないし、ルール違反で失格だ。ここで言いたいのは、今やっている練習が「何のための手段か」ということだ。その手段は探した結果かということだ。





「努力は報われる」という言葉はある意味正確で、ある意味言葉足らずだと思う。

「(最適な時期に、最適な練習を、最適な量をすれば)努力は報われる」だと思う。フェラーリの例でいえば、どれだけの期間フェラーリを借りるか、レンタル費用を稼ぐ期間はどれくらい必要か、どれだけ運転の練習をすればいいか、という風になるだろう。「最適」に最も近しいことを探すことが、また一つの努力であって、身体を動かすこと、汗をかくことだけが努力ではない。身体を動かす、汗をかくといった、「する努力」も、それがどうやったら身につくか「探す努力」が必要だから、結局「する努力」より「探す努力」の方が大事なのかもしれない。見つかれば人は自動的に頑張る。

だが、私自身、それがわからないからこそ、世界大会で負け続けている。

ただ、もし発想の転換さえすれば著しく伸びる方がいるのであれば、と思い、この文を書いている。自分自身、「頑張ること自体が素晴らしい」と思う。頑張っている人は、それだけで美しいし、それだけで価値があると思うから。だが、そういった美しい人達が生き残っていくためにもある程度結果が必要だ。

選手がどれだけ入れ替わっても強い国がずっと強いのは、世界最高に努力する選手たちばかりだからじゃない。ずっと弱い国は努力する選手がずっといないからじゃない。強くなれる文化、方法論があり、努力する意志さえも育む環境があるからだ。東大合格者がずっと同じ高校から出てるのも、同じ理由だと思う。強い団体、組織には必ずそういう文化、やり方がある。「あとはやるだけ」に近しい状態を作っている。探し続けた努力の積み重ねがある。その状態を作る「努力」も必要なのだ。努力とは我慢する力だけのことを言っていない。「奴隷力」を略して「奴力」ではない。勝つために、結果を出すために、やること、すべての行為を努力という。

弱い国が強い国になるにはどうしたらいいか。弱い選手が強くなるにはどうしたらいいか。その答えとして、「お前の努力が、自分の努力が足りないからだ」という、測れもしない努力の多寡に置き換えて、その人の人間性を否定することが少しでもなくなればいい。「努力は報われる。報われてないお前は努力してないからだ。この怠け者」という浅はかな結論がひとつでもなくなって、スポーツがすべての人にとって、自信をつけるためのものであってほしいと思う。

頑張って頑張って頑張って、それでもだめだったら、やり方が間違っている。考え方が間違っている。あなたがだめなんじゃない。

私は競技を変えた。頑張って頑張って頑張って、それでもだめだったから、競技そのものを変えた。自分にとって日本一になることが目的だったからだ。あなたがスポーツをする目的は何だろうか。その手段として、今やっていることは一番理想の手段として近しいだろうか。

スポーツとはつまるところ、やり方の改善、考え方の改善であって、自分が偉いことの証明や自分がクズであることの証明として使われるべきではない。「自分にもやればできることがある。」そんな自信が付きさえすればそれでいい。

すべての頑張る人が、少しでも報われるスポーツ界になればいいなと思う。

《中野紘志》

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