交通事故における歩行者の死傷者数が小学校低学年をピークに減少傾向にあるのに対し、自転車の死傷者数はその後も増加が続き、高校生が最も多い結果となっています。
これにはさまざまな理由が考えられますが、小学校では交通安全教育が広く行われているのに対し、自転車に乗る機会も距離も増す中学校や高校(さらに高齢者を除く社会人)では質、量ともに十分でないことが主たる要因かと。これは会議参加者の共通認識となっていました。
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ただ、気になったのは多くの話者が、スケアードストレート(スタントマンを使った派手な事故シーンの再現)を活用した安全教室に言及していたこと。いくら衝撃的なシーンを目の当たりにしても、あわせて相手のある事故なら相手側、たとえばドライバーの要因も交えてなぜ事故が引き起こされたのかも学ばなければ、単に恐怖心を抱く、あるいは「スタントマンってかっこいい!」と思うだけです。
特に歩行者相手に事故を起こした自転車乗りのような、受講者自身が第一当事者(事故が発生した場合に、より過失が重い人のこと)になる可能性については想像すらおよばないでしょう。
これについては2014年12月18日公開の本コラムで高校生を対象とした愛媛県の自転車教室を取り上げた際、講師を務めた渋井亮太郎さんが語っていた「そうしたレアなケースを見せるより、高校生がしばしば遭遇するシーンが、いかに危険かを知ってもらったほうが大切」という言葉を思い起こします。
ところで2日目のシンポジウムでパネラーを務めた吉田長裕大阪市立大学准教授によると、フランスやイギリスなどでは社会に潜むさまざまなリスクから自身を守るすべを学び、そのうえで自立を促す市民教育が重視されているとのこと。
自転車教育もその一環に位置づけられ、そこでは実技が積極的に取り入れられています。正確なハンドル操作やブレーキ操作を身につけることが、身を守ることに直結しているからです。交通ルールを学ばせるのも「規則だから」ではなく、「自身に役立つから」という姿勢に貫かれています。
このような視点に立った自転車教育であれば事故防止に矮小化されることはなく、われわれが安全で快適に移動するにはどのような環境を必要とするのか、現行の交通規則は妥当なのか、さらには歩行者やサイクリスト、ドライバーとしてどう振る舞えばいいのかを、個々人が自主的に判断できるようになるでしょう。
隅に追いやられがちな日本の交通安全教育の意義を問い直す、大事なヒントとなりました。