会場に詰めかけたファンからはKOを期待する声援も飛んだが、終盤のパッキャオは流す素振りを見せる。全盛期の何がなんでも倒してやるという闘争心にあふれた姿はなく、少しでも長くリングの感触を楽しもうとしているようだった。
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マニー・パッキャオ
それをもって彼の老いを指摘する声もある。だが良いじゃないか。パッキャオにはもう生き急ぐ理由などないのだから。今の彼には何かを証明したり、自分の力を誇示したりする必要はない。パッキャオはボクシング界を代表する選手であり、将来の殿堂入りも間違いないチャンピオンだ。もはやフィリピンから渡ってきた無名のボクサーではない。
■ライバルたちとの激闘で評価を高め続けたキャリア
2000年代に主戦場をアメリカへ移したパッキャオ。ボクシングの本場アメリカで、アジア出身の軽量級選手がのし上がるためには強烈なインパクトが必要だった。彼は自分よりも格上とされる相手、大きな相手と次々に対戦して絶対に倒してやるという負けん気、無尽蔵のスタミナが生み出す手数、階級の壁を乗り越えるKO劇でファンの心をつかんでいく。
そしてパッキャオの名声を不動のものとする試合が2008年12月6日に行われた。6階級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤとのウェルター級マッチだ。この試合のため2階級上げてきたパッキャオには、体格の不利を予想する声が多かった。しかし、試合が始まるとパッキャオが一方的な攻勢を仕掛け、デ・ラ・ホーヤをメッタ打ちにする。
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パッキャオ(右)対デ・ラ・ホーヤ
デ・ラ・ホーヤ戦でTKO勝ちを収めたパッキャオは、続いてIBO世界スーパーライト級王者リッキー・ハットンと対戦した。パワーとタフネスで知られたハットンをパッキャオは、第2ラウンドに左の一撃で失神させる。デ・ラ・ホーヤ戦の勝利に懐疑的だった人間も黙らせる戦慄のKO劇だった。
■興行的な盛り上がりには欠けた引退試合
国民的英雄パッキャオのラストマッチとあって、ブラッドリー戦はフィリピンで国民的なイベントになった。一方アメリカでは盛り上がりを欠いた。試合後プロモーターのボブ・アラムが明かしたところによると、この試合のペイ・パー・ビュー(PPV)販売数は40万から50万件。事前に掲げた70万件の目標には届かなかった。
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パッキャオ(右)対ブラッドリー第3戦
この試合がアメリカで盛り上がらないのは予想されていたことだった。いくつかの要因がある。
まず今回の試合でパッキャオが本当に引退すると思っている人は少ない。アラムは戦前の会見で懐疑的なコメントを出し、トレーナーのフレディ・ローチですら信じていなかった。家に戻って家族と過ごしたい、政治家としてフィリピン国民のために働きたいと話すパッキャオだが、過去に税金の滞納も伝えられた彼が近いうちリングに戻ってくるという予想は尽きない。
試合後の会見でパッキャオ自身も、「まずは引退後の生活を満喫させてほしい。現役復帰については分からない。これからの生活を楽しんでいるかもしれないからね。コンディションはまだ大丈夫だ。100%の状態でファイトできる」と復帰に含みを持たせている。
販売不振にはパッキャオ自身の失言も響いている。2月に受けたインタビューで彼は、同性愛者に対する差別発言を行い大きな問題となった。同性愛者を「動物以下」とする内容で、事態を重く見たスポーツ用品ブランド『ナイキ』はパッキャオとの契約を打ち切った。
パッキャオはインスタグラムに謝罪動画をアップしたが、「私の間違いは同性愛者を動物と比較したことであり、発言内容は聖書に書かれていることを話しただけだ」として騒動は収束していない。
だが何と言っても決定的な要因は2015年5月2日に行われた、フロイド・メイウェザーとの“世紀の一戦”が期待はずれに終わったことに尽きる。
■今も尾を引く“世紀の一戦”ショック
試合は予想されたとおりメイウェザーが安全圏からポイントアウトし、パッキャオを完封して無敗レコードを更新した。試合内容自体も批判されたが、世間の風向きを決めたのは終了後の会見だった。パッキャオ陣営は、「練習で右肩を負傷しており、ネバダ州アスレチック・コミッションとの行き違いから痛みを抑える薬も使えなかった」と主張したのだ。
事実を巡って両者が争う傍らでは、「高いチケットや有料放送を買わされたのに、試合に関する重大な情報を隠していた」として集団訴訟に発展した。この試合後ボクシング界ではPPVの深刻な販売不振が続く。
■『パックマン伝説第2章』への伏線は整っている
興行的には成功と言いがたいパッキャオ対ブラッドリー第3戦だが、内容には高い評価が集まっている。試合後の会見でブラッドリーも、「自分の力がおよばなかった。パッキャオは強く隙がなかった。私がやろうとしていたことや動きを読んでいた。彼とフレディ・ローチは素晴らしいゲームプランを実践した。そして私は打ち負かされた。パッキャオは驚くほど速くて強かった」と完敗を認め、記者からの「パッキャオは引退すべきか」との問いに「ノー」と答えた。
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キャリア晩年の騒動で傷ついたパッキャオのブランド価値も、11カ月ぶりの復帰戦を完勝したことで回復した。満ち足りた笑顔でリングを後にしたパッキャオだが、彼が望むなら復帰への道筋は整っている。
パッキャオのファイトを再び見たいという気持ちがある一方、衝撃的なKO負けを喫したファン・マヌエル・マルケス戦のあとでは、このまま健康なうちにリングを降りてもらいたいとも思う。あの笑顔が失われるような事態は見たくない。
つとに知られたとおりファンとは身勝手な存在なのだ。