ホンダのスポーツカーの原点、半世紀を祝う…ホンダ S800 50years 開催
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S800は1965年10月に開催された東京モーターショーでデビュー。その翌年からデリバリーが開始された。そのことから2016年を50歳になる年して選ばれ、このたびお祝いのイベントが開催された。同時に、2013年10月に、ホンダASシリーズ(S500、S600、S800)最初のモデル、ホンダ『S500』が発表されたことを記念した、ホンダ・スポーツ生誕50年イベントが行われ、その締めくくりのイベントとしても位置付けられている。
当日は、以前白子SFがあったホンダ白子ビル(埼玉県和光市)に集合。会場には100台近いASシリーズが集まった。スタート前には自身もS800Mを所有する和光市商工会会長の齋藤和康氏や、和光市市長の松本武洋氏も応援に駆け付け、Sについての魅力を語っていた。
この後、Sたちは集合場所を後に、ホンダ埼玉製作所狭山工場までパレード。現地では、昼食とともに当時Sの開発に携わったトークショーが行われた。そこでは開発秘話や本田宗一郎氏のエピソードなどが語られ、エントラントは真剣に聞き入っていた。
白子SFの“SF”とは、サービスファクトリーの略だ。ホンダの原点は1958年に発表された『スーパーカブ』にまで遡る。その後、1963年にホンダ初の四輪車、『T360』と『スポーツ360』を発表。1963年に市販車のT360とS500で四輪車への進出へと踏み出した。しかし、サービスに関して大きな問題が残った。それは、これまで二輪のみであったことから、その取扱店のほとんどが自転車店だったことだ。そこで、サービスを専門とするSFを全国に展開する方策に出たのだ。そのひとつが白子SFである。
関係者によると、1970年代に入り、「T360や『T500』、Lシリーズ、そしてSシリーズなど、Nシリーズ以前の古い水冷エンジンの東京地区のメンテナンスは、西側を白子SF、東側を押上SFに集約。そこで、Sシリーズとしては馴染みのある白子SFのあったホンダ白子ビルをスタート地点にした」と説明。因みにここには、「パーツ番号のすべてを諳んじている女性がいて、ある時、欲しいパーツ番号を伝えると、即、それは輸出用パーツなのに、なぜ欲しいのかと尋ねられ慌てた」と懐かしげに語っていた。
狭山工場は、S500やS600 はいくつかの工場で製造されたが、S800に限ってはここのみで製造されたことからゴール地点として選ばれたのだ。
《内田俊一@レスポンス》
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