山の神になれなかった内田翼…社会人として次なる夢に挑む
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
しかし1月2日の往路5区、内田は最高地点に近い芦の湯で給水係を務めるのみだった。
2015、16年と箱根駅伝連覇の立役者となった久保田和真とは、九州学院高で1学年下。全国高校駅伝で内田は1区で区間3位に入る実力者で、数少ない推薦入学枠で同大に進んだ。
「高校3年の時は青学もまだ最高位で5位。入学して優勝常連校の原動力になりたかった」と内田は進路選択の動機を語った。
すぐに山登りのスペシャリストとして原監督に期待をかけられた。上り坂が強い秘けつは、「神野さんも同じですが、上りでもピッチを刻んでスピードを落とさずに走れること」と内田も自信はあった。
ところが三大大会は出場を果たせず。ラストチャンスは2017年、最終学年で迎えた箱根だった。
山登り要員としての内田のポテンシャルはきわめて高かった。しかし直前に足の甲のケガでメンバー落ち。原監督は、「内田を5区に起用する作戦だったが、3連覇に向けて痛い誤算だった」と告白している。
一時は失意で落ち込んだ内田だが、後輩に3連覇の偉業を託すことで気持ちを奮い起こした。内田が走るはずだった5区は3年生の貞永隆佑が大役を務め、コース最高地点に近い芦の湯で給水要員として内田はレースに関わることを志願した。
「走りのバランスが悪かったのでケガをしてしまったんでしょう」と自らを客観的に分析する内田。故郷熊本は大震災で揺れが激しかったが、幸いなことに両親や妹は無事。
1月の箱根駅伝後はその熊本に帰京していたが、卒業論文の発表のために下旬には上京。大学三大駅伝は一度も走れなかったが、卒業後は選手をキッパリとやめ、ソフトバンクに入社。
「楽しみながらマラソン大会に出ることはあるでしょうけど」。社会人として新たな人生を歩み始める。
《山口和幸》
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