【THE REAL】鹿島アントラーズ・三竿雄斗の挑戦…左利きの左サイドバックとして輝きを放つために  | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】鹿島アントラーズ・三竿雄斗の挑戦…左利きの左サイドバックとして輝きを放つために 

オピニオン コラム
湘南ベルマーレから鹿島アントラーズへ 三竿雄斗 参考画像(2016年2月18日)
湘南ベルマーレから鹿島アントラーズへ 三竿雄斗 参考画像(2016年2月18日) 全 4 枚 拡大写真
■湘南ベルマーレに抱き続けた感謝の思い

ルーキーイヤーから数えること3シーズン。その間に行われたリーグ戦のほとんどでピッチに立ち続けてきた点で、三竿雄斗(みさお・ゆうと)は極めて稀有なJリーガーの一人と位置づけていいかもしれない。

早稲田大学から湘南ベルマーレに加入したのが2014シーズン。3バックの左でモンテディオ山形との開幕戦に先発フル出場すると、42試合を戦う長丁場のJ2戦線で40試合をタフに戦い抜いた。

総プレー時間3495分は、フィールドプレーヤーのなかではDF丸山祐市(現FC東京)に次ぐ第2位。左サイドを積極果敢に駆け上がり、利き足の左足から放たれるクロスで何度もチャンスを演出した。

攻守両面で独走でのJ2制覇に大きく貢献して、迎えた2015シーズン。初めて挑むJ1の舞台でも、1試合を欠場しただけで33試合に出場。「湘南スタイル」の一翼を担い、悲願の残留への原動力になった。

残念ながら年間総合順位で17位に沈み、J2への降格を余儀なくされた2016シーズン。苦戦の連続だったベルマーレのなかで三竿はファーストステージの17試合、計3060分間にフルタイム出場を果たす。

湘南ベルマーレで成長させてもらったという思い
(c) Getty Images

セカンドステージでも15試合でフル出場。3シーズンで110試合を数えたリーグ戦のうち、実に105試合に出場。そのうち先発出場が103を数えるなど、代役のまったく利かない存在感を放ち続けた。

プレー時間の合計は9204分間。110試合すべてに先発フル出場を果たせば9900分間となるから、稼働率は実に93パーセントに到達する。その間、ベルマーレへの感謝の思いを常に抱きながらプレーしていた。

「早稲田にいたときは正直、将来、プロになれればいいかな、という感じでした。ただ単に毎日の練習をこなしていた状態でしたけど、だからこそベルマーレにきて成長したというよりは、成長させてもらったという思いが強い。いいときも悪いときも試合に出させてもらったことには、心から感謝しています」

■2015年オフの移籍を思いとどまった理由

ベルマーレから入団のオファーを受けたのは、早稲田大学の4年生に進級した直後の2013年4月だった。他のJクラブからのオファーを待つことなく、三竿は入団することを即決している。

「そんなに早い段階でオファーがくるとは、僕自身、考えてもいなかったので。それだけ自分を必要としてくれていることの表れだと思いましたし、素直に嬉しかったですね」

直後にJFA・Jリーグ特別指定選手としてベルマーレに登録され、大学生ながらヤマザキナビスコカップのグループリーグ、清水エスパルス戦と川崎フロンターレ戦で合計161分間プレーした。

そして、いまも指揮を執る曹貴裁監督の熱さ、温かさ、選手の成長を第一にすえる考え方に魅せられた。実際、2年目を終えた2015シーズンのオフに、他の2つのJ1クラブから届いたオファーを断っている。

しかも、そのうちのひとつ、年末ぎりぎりに突然届いたそれは、三竿をして「二度とオファーが来るかどうかわからない」と言わしめるほどのクラブだった。まったく迷わなかった、といえばうそになる。

しかし、当時のベルマーレからはキャプテンのMF永木亮太(現鹿島アントラーズ)、ハリルジャパンでもデビューしていたDF遠藤航(現浦和レッズ)らが新天地へ旅立とうとしていた。

「どちらが自分をより成長させてくれるのか。そう考えたときに、(永木)亮太君や(遠藤)航たちが抜けたなかで、彼らが担っていたものを自分が受け継ぐというか、責任感を背負ってプレーしたほうが成長できると思ったんです。もちろん曹さんのもとで、まだまだ学び切っていないことも多かったので」

残留を決めた後に、曹監督から副キャプテン就任を告げられた。望むところだった。「17番」から、永木が背負っていた「6番」への変更も決まった。ちょっとだけ武者震いを覚えた。

■心のなかに危機感を抱き続けた3年間

ほとんどの公式戦でピッチに立ちながら、三竿は心のなかに常に危機感を募らせてきた。対象はふたつ。大卒でプロの世界に飛び込んだ以上は、すでに若手ではなく中堅という意識を抱き続けてきた。

入団した2014シーズンの4月に23歳になった。「サッカー界でいえば、まったく若くない」と苦笑いしながら、1年目を終えても2年目を終えても、三竿は「来年が勝負の年」と自らを鼓舞し続けてきた。

もうひとつはメンタル面。心の片隅に巣食っている「弱さ」に他の誰でもない、三竿自身が気づいていた。周囲からは順風満帆に映るプロ人生で、実は内なる部分で自分自身と戦い続けていた。

「ちょっとしたミスが続くと、下を向いてしまう時期があった。そうなってくるとプレーそのものが消極的になるというか、自分のストロングポイントを出せなくなってしまうので。下を向きがちになったときに、もっともっと踏ん張れるメンタルを作りあげていかないといけない」

副キャプテンとして責任感をより強めてプレーすれば、弱い自分を駆逐できるかもしれない。球際の強さ。豊富な運動量。そして、左足の正確なキック。武器のレベルをあげるためにも、折れない心が必要だった。

3年目のシーズンを戦い終えて、個人的には心の部分で変わったと実感できた。しかし、残念ながらベルマーレはJ1残留を果たせなかった。そこへ届いたのが、鹿島アントラーズからのオファーだった。

クラブW杯決勝でレアル・マドリードに善戦した鹿島
(c) Getty Images

31歳のベテラン、山本脩斗が孤軍奮闘している左サイドバックとしてのオファー。今回も気持ちは揺れ動いたが、年末になって移籍を決めた。ベルマーレからのリリースには、こんな言葉が綴られていた。

「短いサッカー人生、後悔したくないという気持ちであったり、何よりもチャレンジしたいという気持ちが強く(中略)もっと成長した姿を見せることが、応援してくれた人々に対する恩返しになると思っています」

■希少価値の左利きの左サイドバックとして

これまで年代別の日本代表に選出された経験はない。それでも、無我夢中で走り続けた3年間で、他の左サイドバックにはなく、自分にはあるもうひとつのストロングポイントを見つけた。

「世界のどのチームを見ても、4バックの左サイドバックは左利きの選手が務めている。これが日本の場合は、代表でも長友(佑都)さんや(酒井)高徳さんをはじめ、右利きの選手が務めているのが現実ですよね。世界と戦ううえでは左利きの左サイドバックは絶対に必要だし、その意味ではチャンスなのかなと」

ハリルジャパンの左サイドバックとして、ピッチに立ったレフティーには太田宏介(FC東京)がいる。しかし、現時点では長友佑都(インテル)と酒井高徳(ハンブルガーSV)が築く厚い牙城を崩せていない。

ひるがえってアントラーズはチームが創設されたときから、ブラジル流の4バックを伝統としている。もっとも、攻守両面で安定感あふれるパフォーマンスで二冠獲得に貢献した山本も右利きだ。

常勝軍団の一翼を勝ち取れるか
(c) Getty Images

クロスをあげるときなどに左足で蹴る場合が圧倒的に多いことを考えれば、精度の高いキックを利き足である左足に宿らせているほうが優位に立つ。実際、三竿は新天地アントラーズでこんな言葉を残している。

「このチームには左利きの左サイドバックがいないので、ひとつのアクセントになれれば。しっかりとピッチに立って、ファンやサポーターの方々に認めてもらえるように頑張っていきたい」

左利きというだけでレギュラーが約束されるほど、アントラーズは甘くはない。だからこそ、山本と切磋琢磨しながら心技体のすべてで成長を遂げて、常勝軍団の一翼を勝ち取ったときに日の丸も見えてくる。

26歳となる今シーズンで、裸一貫で新天地へ飛び込んだのはさらに高く羽ばたくため。「人生で一番濃かった」と位置づけるベルマーレでの日々を糧にして、175センチ、70キロの体に大いなる可能性を秘めたレフティーの挑戦が幕を開けた。

《藤江直人》

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