【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスは6年に一度、ロワール地方で開幕する | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスは6年に一度、ロワール地方で開幕する

オピニオン コラム

2011年の第1ステージで優勝候補のコンタドール(先頭から3人目)がいきなり遅れる。ここはいつも波乱の連続だ
2011年の第1ステージで優勝候補のコンタドール(先頭から3人目)がいきなり遅れる。ここはいつも波乱の連続だ 全 5 枚 拡大写真
2018年のツール・ド・フランス開幕地はフランス北西部のバンデ県とペイドラロワール地域圏に。大西洋に面したバンデ県は自転車競技が盛んなところで、ツール・ド・フランスもよくこの地を訪問するのは、地元自治体や企業が自転車イベントの運営やサポートに積極的だからだ。

ペイドラロワールは日本で例えると関東地方のような地域圏で、面積もたまたま関東と同じくらい。ロワール川沿いに魅力あふれる町々が点在し、最大の都市ナントが行政の中核となる。

24時間自動車レースで知られるルマンも、このペイドラロワールにある。5つの県で構成されていて、バンデ県はその中のひとつだ。

バンデ県とその周辺でツール・ド・フランスが開幕するのは、ボクが全日程を追いかけるようになってから4回。1993年と1999年に中世劇場テーマパークのピュイデュフ、2005年にフロマンティーヌ、そして2011年にパッサージュ・デュ・ゴワ。つまりこの四半世紀は6年に一回の周期で開幕地となっている。

2011ツール・ド・フランス開幕地、パッサージュ・デュ・ゴワ

この地域にかつてバンデUというアマチュアチームがあった。Uはこの地方を拠点として全国展開するようになったスーパーマーケット。地元出身の元プロ選手ジャンルネ・ベルノードーがスポンサーとして獲得し、それをプロチームに昇格させた。

シルバン・シャバネルやトマ・ボクレールを輩出したチームはブリオシュラブランジェール、ブイグテレコム、ヨーロッパカーなどとチーム名を変え、新城幸也も7年間所属。そんな縁があるから新城は、イタリアのランプレやバーレーンのチームに移籍しても、欧州拠点をこのバンデ県に置くのである。

点在する集落をつなぐ1本道が農地と森林のなかを一直線に貫通する。さすがに国道は交通量があるが、ツール・ド・フランスによく利用される県道はのどかで、まさに自転車天国。平坦といってもうねりのある丘陵地が散在し、負荷をかけた練習もこなせる。自転車競技が盛んになるのもうなずける環境だ。

この地域にはツール・ド・フランスでときおり登場する名所がある。

ノワールムーティエという砂嘴(さし)が大西洋に突き出していて、1本道でつながっている。本土とノワールムーティエを結ぶ道路はもう1本あって、それがツール・ド・フランスでも有名なパッサージュ・デュ・ゴワだ。

いわゆる「海の中道」で、干潮のときだけ道路が海面上に姿を現す。本土まで3kmほどの道がほぼ一直線に延びているのだが、濡れた路面は藻がはびこり、かなり滑りやすい。1999年の第2ステージでここを通過したときは大落車が発生し、優勝候補のアレックス・ツーレが6分03秒も遅れた。

2005年はノワールムーティエにゴールしたステージがあった。本土までの帰り道は渋滞が予想されたが、思わぬ抜け道があった。地元の女警官が「今ならパッサージュ・デュ・ゴワに回りなさい」と教えてくれたのだ。

まさか通れるとは思わなかったので、潮が満ちてくるのを気にしながらクルマを止めて記念写真を撮っておいた。おかげで夜11時前にはバンデ県の常宿にしている農家に到着できた。ボクよりも出発が1時間遅かった取材者仲間は、「もう潮が満ちて通れなかった」という。

農家の庭先…石造りの母屋も清潔で快適

このバンデ県には何回もお世話になっている農家がある。ネット予約なんてなかった時代は、農家の夫婦と手紙を2回ほどやり取りして部屋を確保してもらった。おそらくこの夫婦の人生で、海外に手紙を出す機会なんて2回しかなかったはずだ。郵便局員が国際用の封書に手紙を入れ直して日本まで送ってくれたのだ。

地平線まで広がる麦畑の中の一軒家。部屋は中世の古城のように手入れされていて、王様になった気分で眠りに落ちることができる。ところが2~3年後に訪問してみると、いつもニコニコして迎えてくれるご主人がいない。「昨年他界したのよ。私はもうさみしくて…」と奥さん。

東日本大震災で福島第一原子力発電所が制御不能に陥ったとき、もう日本を捨ててどこかに移住しないといけないかなと思ったときがある。そのときに頭に浮かんだのがこの麦畑の中の一軒家だった。近隣の人と近所づきあいできるかな?とか、仕事はどうしようとかちょっと本気で考えた。

《山口和幸》

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