背番号にこだわりをもつ選手は多い。たとえばJ2が開幕する2月26日に50歳になるFWカズ(横浜FC)は、愛車のナンバーなども含めて、象徴でもある「11番」へ深い愛着を貫いている。
プロ32年目となる今シーズンの契約延長が発表されたのも、1月11日午前11時11分だった。そして、この日には浦和レッズの新体制も発表され、7人の新加入選手が埼玉スタジアムに勢ぞろいした。
そのなかの一人、湘南ベルマーレから完全移籍で加入したMF菊池大介は、自ら希望して「38番」を選んだ。DF森脇良太の「46」、MF矢島慎也の「39」に次ぐ大きな番号を背負ったのには理由がある。
「高校1年生でトップチームに登録されたときに、初めてもらった背番号が『38番』だったので。ありきたりですけど、初心に帰ろうと思ってつけました」
長野県佐久市のクラブチームでプレーしていた菊池が、湘南ベルマーレユースに加入したのが2007シーズン。すぐに才能を見初められてトップチームに2種登録され、7月7日のアビスパ福岡戦でデビューした。
このときの16歳2ヶ月25日は、いま現在でもJ2の最年少出場記録だ。翌2008年7月27日のロアッソ熊本戦で決めた初ゴールも、17歳3ヶ月15日のJ2最年少ゴール記録として残っている。
加入して間もない菊池の才能を見抜き、ユースに籍を置いたままトップチームの公式戦に出場できる2種登録選手にすべきだとクラブを後押ししたのは、当時ユースを率いていた曹貴裁監督だった。
恩師の一人でもある曹監督が、トップチームの監督に就任した2012シーズン。高校3年生でプロ契約してすでに4年目を迎えていた菊池は、6つ目の背番号として「10」を託される。
華麗なテクニックを駆使するタイプではないことは、誰よりも菊池本人が理解していた。それでも司令塔の象徴でもある「10」を背負うに至った理由を、自問自答する日々が続いた。
■まさかのオファーに激しく揺れ動いた気持ち
2014シーズンからは、23歳にしてチームの最古参選手になった。ザスパ草津へ期限付き移籍した2010シーズンを除き、J1昇格を3度、J2降格を2度味わってきたなかで、独自の「10番」像に行き着いた。
「前への推進力であり、ドリブルであり、チームが苦しいときこそ誰よりも走って、頑張ることでチームを引っ張り、ファンやサポーターの期待に応える。そこはブレることなくやってきました」
シャドーが主戦場だったポジションを、2014シーズンからワイドに移した。右利きながら左を託されたのはタッチライン際を何度も往復するだけでなく、中央へ切れ込んでからのシュートにも期待されたからだ。
J1の全34試合で先発出場を果たし、ベルマーレのフィールドプレーヤーでは最長となる2939分間にわたってピッチに立った2015シーズンのオフ。悲願のJ1残留を果たしたチームに激震が走った。
キャプテンのMF永木亮太が鹿島アントラーズへ、A代表に選出されたDF遠藤航が浦和レッズへ移籍。ユースの同期でもあるMF古林将太にも、名古屋グランパスからオファーが届いた。
移籍か、残留かで迷った古林から幾度となく相談を受けた。決して長くはないサッカー人生ゆえに、自らの意思で決断すべきではないか。こう考えていた菊池は、「引き留めはしなかったですね」と振り返る。
古林は最終的に移籍を決めた。このとき、まさか1年後に自分がオファーを受けるとは、それもJ1を代表する歴史と実力をもつ名門レッズから誘われるとは菊池自身、思ってもいなかったはずだ。
「オファーを受けてからは(遠藤)航と一緒にご飯などにも行って、いろいろと話を聞きましたけど…」
昨シーズンは副キャプテンを務めたが、ベルマーレは年間17位で無念のJ2降格を喫した。続投を決めた曹監督のもとで捲土重来を期すシーズンで、最古参の自分が抜けていいものか。心は激しく揺れ動いた。
■永木亮太や遠藤航の姿を通して受けた刺激
周囲と何度も相談を重ねた。ベルマーレへの愛着と1年でJ1へ戻すという責任感。未知の戦いであるACLにも出場するレッズでの新たな挑戦。なかなか答えは弾き出されなかった。
「本当に迷いしかなかったですね。行っていいのかなと思えば、行かないほうがいいのかなとも思って。いろいろな人と話せば話すほど、どうしたらいいかまた悩んで、ということの繰り返しで」
1年前の永木や遠藤、そして盟友でもある古林のように、最後は自分自身に真正面から問いかけてみた。4月には26歳になる。10年を数えるキャリアをあらためて振り返ったとき、心は決まった。
「年齢的なこともありますし、大きなクラブで自分に何ができるのか、ということに挑戦してみたい気持ちが、湘南に残りたいという気持ちよりも勝ってしまったことが一番の理由です」

リオ五輪でU-23日本代表のキャプテンを務めた遠藤航
(c) Getty Images
遠藤は昨夏のリオデジャネイロ五輪で、U‐23日本代表のキャプテンを務めた。永木もハリルジャパンで念願のA代表デビュー。チャンピオンシップ決勝は、身近な存在だった2人を擁する両チームが対峙した。
下克上でJ1王者になったアントラーズがFIFAクラブワールドカップを勝ち進み、決勝で名門レアル・マドリードと延長戦にもつれ込む死闘を演じた。すべてが刺激となり、モチベーションがかきたてられた。
「それらがすべてではないですけど、それでも『自分もやれる』という思いもありましたし、同時に『自分もやりたい』という思いもありました。その意味では、きっかけになった部分はありますね」
遠藤も永木も、ベルマーレで育まれた日々を誇りとしながら新天地でプレーしていた。誰よりも長くベルマーレに関わってきた菊池もまた、レッズでのプレーを通して感謝の思いを伝える一人となった。
「自分がベルマーレでやってきたことを、浦和で証明したい。浦和で結果を出すことが、自分を応援してくれた人たちへの恩返しにもつながると思うので」
■シーズンの到来を告げる公式戦で募らせた決意
シーズンの到来を告げる、日産スタジアムを舞台にした恒例のフジゼロックス・スーパーカップ。今年は18日に開催され、4万8250人のファンやサポーターの目の前でアントラーズが3‐2でレッズを下した。
アントラーズで三竿雄、レッズで遠藤と菊池が先発。永木が途中出場した後半24分には、すでに菊池が交代していたために4人同時出場はならなかったが、それでもベルマーレOBが全員ピッチに立った。
初めての公式戦で負けた結果は残念だが、それぞれの道を歩むかつての盟友たちが一堂に会したことが菊池の表情を少しだけ綻ばせる。そして、この再会が決して偶然ではないことは、菊池の言葉が証明している。
「試合をしていて、何だか不思議に感じたというか。やっぱり湘南で培ってきたものが、自分たちのサッカーの土台になっているし、自分の場合は浦和でも生きているんだと思っています」
菊池はベルマーレ時代に慣れ親しんだ左ワイドで先発。ロングパスをダイレクトで自らの前方へ落とし、スプリントをかけて敵陣へ迫るプレーなどを介して、レッズの左サイドに前への推進力をもたらした。
「前へ飛び出していくのが好きですし、もちろん上手くいかないこともありますけど、それも自分のためだと思っている。本当に刺激だらけの日々なので、いまはすごく充実しています」

浦和レッズはACLグループリーグ初戦で快勝
(c) Getty Images
敵地でウェスタン・シドニー・ワンダラーズに快勝した21日のACLグループリーグ初戦では、出番が訪れなかった。それでも、12月まで続く長いシーズンで、菊池の「頑張り」が必要となる状況が必ず訪れる。
「浦和に来て本当によかったと思っていますけど、そういう思いをもっと明確なものにするためには結果を積み重ねていかないと」
左サイドを攻守両面で疾走し続け、自身の体に搭載されたストロングポイントを繰り出していく。ベルマーレで得たすべてを新天地レッズに捧げる決意と覚悟が、思い出深い「38番」に凝縮されている。