【THE REAL】2017シーズンへの覚悟・その3…川崎フロンターレ・家長昭博が歩む不器用なプロ人生 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】2017シーズンへの覚悟・その3…川崎フロンターレ・家長昭博が歩む不器用なプロ人生

オピニオン コラム

家長昭博 参考画像
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■ブログのタイトルに反映された生き様

14年目を迎えたプロ人生で、延べ9つのチームでプレー。日本だけでなく、スペインや韓国にも活躍の場を求めてきた、元日本代表MF家長昭博のオフィシャルブログのタイトルが洒落ている。

「拝啓 自分不器用デスカラ。」

昨年4月を最後に、更新が滞っている点はまあご愛敬。タイトルの一部として使われている「不器用」という言葉には、30歳のレフティーが歩んできたさすらいの人生がそのまま凝縮されている。

ジュニアユースからガンバ大阪で心技体を磨いた家長は、ほどなくして「怪童」としてその名前を知らしめる。たとえばトップチームの司令塔、遠藤保仁はこう語ってくれたことがある。

「彼がガンバのユースにいるときから『すごい選手がいる』と聞かされてきたし、実際に家長がトップチームに昇格してきたときには、すぐにでもA代表に入ってくるんじゃないかと思いました」

プロ契約を結んだのは、高校3年生だった2004年7月。直前の6月26日のアルビレックス新潟戦では、ユースに所属する2種登録選手として初出場、初先発、初ゴールを同時に記録する快挙を達成している。

ガンバの育成組織の基盤を築きあげ、指導・統括してきた上野山信行氏(現ガンバ大阪アカデミー本部・強化本部担当顧問)に、ガンバ大阪ユースの最高傑作といえば誰か、と聞いたたことがある。

答えは稲本潤一(現北海道コンサドーレ札幌)でも、宮本恒靖(現ガンバ大阪U‐23監督)でも、ましてや2014シーズンの三冠達成の原動力になった宇佐美貴史(現アウグスブルク)でもなかった。

「一番は、やっぱり家長でしょう。ただし、ポテンシャルでは、ね」

ガンバ大阪時代
(c) Getty Images

恩師から但し書きを添えられたことが、ガンバで才能を開花させて、確固たる居場所を築けなかったことを物語る。2007シーズンは27試合に出場したものの、先発は6回。プレー時間は1147分間にとどまった。

■2008シーズンから幕を開けた武者修行の旅

翌2008シーズンから出場機会を求めた、家長の武者修行が幕を開ける。もっとも、期限付き移籍した大分トリニータの開幕前のキャンプで右ひざの前十字じん帯を損傷。目標だった北京五輪を棒に振った。

2010シーズンにはガンバのライバル、セレッソ大阪へ期限付き移籍。清武弘嗣、乾貴士(現エイバル)と2列目を形成してあうんのコンビネーションを発揮し、チームを3位に押し上げる原動力になった。

それでも、現状に対して満足できなかった。おりしも、南アフリカで開催されたワールドカップで、岡田武史監督に率いられた日本代表が、芳しくなかった下馬評を覆してベスト16へ進出していた。

日本列島を熱狂させた選手たちのなかで、眩いスポットライトを浴びていたのは本田圭佑(当時CSKAモスクワ)。家長とはガンバのジュニアユースの同期生で、利き足も6月13日という誕生日も同じ間柄だった。

本田はユースへの昇格を断たれ、捲土重来を期して石川県の星稜へ進学。名古屋グランパス、VVVフェンロー(オランダ)、そしてロシアの地で成長を遂げ、岡田ジャパンで確固たる居場所を手にした。

一方で家長は鳴り物入りでユースへ昇格した。ガンバから選ばれたはずが、いつしか差をつけられてしまった。南アフリカ大会をテレビ越しに応援していた家長へ、本田や日本代表へ抱く想いを聞いたことがある。

28歳で迎えるワールドカップ・ブラジル大会のピッチに立つ自分自身の姿を思い浮かべながら、家長は「ストロングポイント」という言葉を何度も口にしている。

「自分のストロングポイントを磨いていかないと、ワールドカップは見えてこない。これだ、という武器がないと、ワールドカップのような大舞台では活躍できないと思っているので。自分の武器ですか? 模索中です。とにかく、いまは力をつけていきたい」

■輝きを放った大宮アルディージャでの日々

翌2011シーズンから日本を飛び出した。リーガ・エスパニョーラ1部のマジョルカへの完全移籍。愛着深いガンバへ戻る道を断ち、翌2012シーズンには韓国Kリーグの蔚山現代FCへ期限付き移籍した。

「上手い選手、強い選手はナンボでもいる。その中で自分はどう生き抜けばいいのか。海外の高いレベルのなかでもまれないとわからないことだし、だからこそ体で感じられる部分は大きかった。特に韓国は日本が思っている以上に能力が高い。うかうかしていたら日本は食われてしまう」

ACLでJクラブが韓国勢の後塵を拝する現状を、察知していたかのような言葉を残していた家長に転機が訪れたのは2012年の夏。J2降格危機に瀕していたガンバから、期限付き移籍のオファーが届いた。

「オファーは特に驚くこともなかったですね。ガンバのために自分の経験、持ちうる力のすべてを捧げて、J1に残留させたいと思っていたので」

男気も報われずにガンバはJ2降格を余儀なくされたが、家長は期限付き移籍を半年間延長。ホッフェンハイムから復帰した宇佐美と入れ替わるように、2部へ落ちていたマジョルカへ2013年夏に復帰した。

マジョルカでの武者修行
(c) Getty Images

そして、わずか半年後には再び日本へ復帰する。大宮アルディージャへの完全移籍。2014シーズンのアルディージャはJ2へ降格してしまうが、家長は契約を延長。J2制覇と1年でのJ1復帰への原動力となる。

迎えた2016シーズン。家長は自身初、クラブの日本人選手としても初の二桁となる11ゴールをマーク。チーム最高の年間総合5位へ躍進したアルディージャのなかで、ひときわ大きな存在感を放った。

それでも、アルディージャは家長にとって「終の棲家」とはならなかった。オフに川崎フロンターレへ移籍した。2007シーズンのオフにも家長獲得を狙ったフロンターレは、9年越しの夢をかなえたことになる。

■36歳のMVP・中村憲剛から得ている刺激

大黒柱としての居場所を築いたアルディージャを、あえて飛び出したのはなぜなのか。家長はフロンターレのレジェンドで、36歳の史上最高齢で昨シーズンのMVPを獲得した中村憲剛の存在を理由にあげた。

「30歳を超えてもまた成長するために、攻撃的な特徴のあるチームを選びました。昨シーズンのJリーグで一番活躍した、ナンバーワンの選手が身近にいるので、本当に盗むところしかないと思っています」

背番号はガンバに復帰した2012シーズンにつけ、アルディージャでも背負い続けた「41」を迷わず選んだ。ガンバで2年目にもらい、トリニータやセレッソでもつけた「14」の逆になるからか。

「他につけている選手も少ないし、語呂的にもいいので、この番号にしようと決めていました」

語呂イコール、「よい」と読めるからなのか。迎えた2月22日。フロンターレは水原三星(韓国)を等々力陸上競技場に迎えたACLグループリーグ初戦で、J1開幕に先駆けて新シーズンのスタートを切った。

結果は1‐1のドロー。キャプテンのFW小林悠と実質的なツートップを組んだ家長はゴールに絡めなかったが、後半30分には右サイドから絶妙のクロスを小林へ配給。あわや勝ち越しのシーンを演出した。

常に成長を追い求める
(c) Getty Images

「僕自身、30歳なので身体能力などはもう伸びないと思うけど、パスやトラップ、ポジショニングを含めたボールをもらう動きはもっと改善できる。チームを変えることが即、成長につながるとは限らないけど、それでも常に上手くなりたいと思って歩んできた。これから先、引退するまで変わらないと思う」

ワールドカップ・ブラジル大会の舞台に立つ夢はかなわなかった。それでも、まるで永遠のサッカー少年のように、家長は「成長」の二文字を純粋無垢に、そして不器用なまでに追い求めている。

いよいよ25日に迎える開幕戦の相手はアルディージャ。「サッカー界では移籍はよくあること。特に因縁はないですよ」と巡り合わせに苦笑する家長は自然体で、慣れ親しんだNACK5スタジアムのピッチに立つ。

《藤江直人》

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