【1964年】フェンシング会場となった早稲田大学が17日間のオリンピック休み…経済効率化のヒント
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
記念会堂のすぐ横には文学部のキャンパスがある。当時、いくつかの教室は選手の控え室にも使用された。また、選手の掛け声や観客の出入り、ざわめきもあって文学部の授業は事実上開催できなかったといえた。
しかし、文学部だけを休みにしたのでは、総合大学として調和がとれない。全学部をいっそのこと休みにしよう、ということで早稲田大学全学部が17日間の「オリンピック休み」となった歴史がある。
当時の状況を振り返ると、東京大会が行われた1964年東京オリンピックは、空襲で破壊された東京に、様々なスポーツの基本的なインフラを整える最大の機会だった。
1964年の国家予算の三分の一に近い金額がオリンピックにつぎ込まれ、「一兆円オリンピック」とも表現された東京オリンピック。予算の大半を占めた「東海道新幹線」や「首都高速道路を含む道路設備」、「上下水道」、「首都圏の地下鉄」、「私鉄の都心乗り入れ工事」は、現在でも活用されている不可欠なものといえる。
また、国の税金で国立競技場の拡充、代々木第一、第二体育館の建設、戸田漕艇場の整備、朝霞射撃場の整備などが行われ、東京都の税金で駒沢オリンピック公園総合運動場が建設された。
一方、埼玉県の所沢市に建設されたクレー射撃用の所沢射撃場など、会後にほとんど使用されないまま閉鎖されてしまった例などもあるため、手放しにインフラに適切な投資をしたと称賛することはできないが、オリンピックで使用される競技会場をどのように効率的に整備するべきなのかは、考えるべきポイントとなる。
その意味では、フェンシング会場として利用された「早稲田大学記念会堂」の例は、ひとつのヒントになるのではないだろうか。「一兆円オリンピック」と騒がれた当時のオリンピックも、闇雲に予算が使われたわけではなかったひとつの証拠となる。
2020年東京オリンピックも、1964年の東京オリンピックでも使用された代々木競技場や日本武道館など過去の遺産を活かし競技が開催されるが、競技会場以外の面でも、どういったところに予算を使い、どういったところを効率化できるのか。まだまだ考える余地はある。
参考文献
小川勝『オリンピックと商業主義』 集英社新書
『朝日新聞』 1964年9月4日
《編集部》
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