チームカラーの赤に染まった浦和レッズのホーム、埼玉スタジアムのピッチで守備に忙殺されながら、セレッソ大阪のボランチ山口蛍は実力うんぬん以前の、根本的な部分の違いを何度も痛感させられた。
「ウチは監督も代わっているし、新しい選手もいて、やり方も違っている。浦和さんはやっているサッカーを含めてほとんど変わっていないし、完成度の差は全然違うと思いました」
レッズが3‐1でセレッソを一蹴した4日のJ1第2節は、ともに2012シーズンを前にして監督を交代させ、その後に対照的な道を歩んできた両チームの「積み重ね」の差が鮮明となった一戦でもあった。
サンフレッチェ広島で2006シーズンの途中から指揮を執り、日本のサッカーにも慣れたミハイロ・ペトロヴィッチ監督を招聘したレッズは以降、長期政権のもとでチームを継続強化していま現在に至る。
一方のセレッソはブラジル人のセルジオ・ソアレス監督を招聘するも、成績不振を理由にわずか8ヶ月で解任。同じブラジル人のレヴィー・クルピ前監督を復帰させ、翌2013シーズンは4位に躍進した。
しかし、翌2014シーズンにはセルビア出身のランコ・ポポヴィッチ監督にスイッチ。再び成績が低迷するとイタリア人のマルコ・ペッツァイオリ監督、日本人の大熊裕司監督と2度も指揮官を交代させる。
1シーズンで3人の監督が指揮を執れば、チーム内は必然的に混乱をきたす。J2への降格を余儀なくされたセレッソは、2015シーズンにブラジル人のパウロ・アウトゥオリ監督を招聘する。
鹿島アントラーズ時代にルーキーだった内田篤人を抜擢した指揮官に再建を託したはずが、シーズン終盤の11月に突如辞任。大熊清強化部長が急きょ監督を務めたが、1年でのJ1復帰に失敗する。
2016シーズンは続投した大熊監督のもと、J1昇格プレーオフを何とか制してJ1復帰を勝ち取る。迎えた今シーズン。元韓国代表MFでクラブOBでもある、44歳の尹晶煥監督に指揮を託した。
■攻撃時に生じてしまう空回りとジレンマ
2012シーズンから数えて6年目。セレッソは実に8人の監督に率いられたことになる。国籍はブラジル、セルビア、イタリア、日本、そして韓国と多岐にわたる。文化や風習が変われば、サッカーも変わる。
残念ながら、2012シーズン以降のセレッソには「継続」の二文字は見られない。監督が交代するたびに、ゼロから作り直す。レッズに代表される、一貫しているチームとの差は守備よりも攻撃で顕著になる。
「J1で戦っていくうえで、どうしても守備の時間は長くなると覚悟していた。そのなかで攻撃に転じるときに、ウチはパスの精度やコンビネーションといったところでミスが多くなってしまい、そこで浦和さんのボールになる、というパターンが多かった。
これが浦和さんになると、たとえば前線の選手にボールが入ったときに、周りの選手の動きというものが流動的に決まっている部分もある。そこはチームとして、何て言うのかな…積み上げてきたものの差だと思いますけど、そこが一番重要でもあるんです」
山口が振り返ったように、セレッソの攻撃陣は沈黙を続けた。前半に放ったシュートは、DF丸橋祐介の1本だけ。対照的にあうんの呼吸で動き回るレッズの攻撃陣に、後半7分までに3ゴールを奪われた。
セレッソが盛り返したのは後半30分すぎ。本来はボランチの山村和也が最前線に投入され、キャプテンのFW柿谷曜一朗が中盤の左サイドに回ったことで、ようやく起点ができたと山口は言う。
「前半から後半の途中までのウチには、特にサイドで起点を作れる場所がなかった。やっぱりどこかに起点を作ることは攻めていくうえで大事だし、今日も(柿谷)曜一朗君がサイドに回ったことで、ようやく(ボールを)ためる時間を作れることができたので」
もっとも、ここで新たな葛藤が生じる。得点を期待される柿谷が2列目に下がったことで、相手へ与える脅威も減る。後半こそ7本のシュートを放ったが、最後までレッズを慌てさせる場面は訪れなかった。
■ツイッターでつぶやいた「10番」の決意
1年前はドイツにいた。ブンデスリーガのハノーファーにおける、長年の夢でもあった海外挑戦は、日本代表として出場した昨年3月29日のシリア代表とのワールドカップ・アジア2次予選で暗転する。
試合中に鼻、眼窩底など複数個所を骨折したことで、その後の日々は治療とリハビリに費やされた。出場はわずか6試合。チームも2部へ降格するなかで、離れてみてあらためて古巣セレッソへの愛を確認できた。
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ハノーファー在籍時代
(c) Getty Images
わずか半年での復帰。日本代表を率いるバヒド・ハリルホジッチ監督をして「まったく喜んでいない」と言わしめるなど、山口がくだした選択は決して好意的には受け止められなかった。
「だからこそ、J1へ昇格できなければ帰ってきた意味がない。それくらいの気持ちでプレーしていた」
背番号「41」をつけて奮闘するも、自動昇格できる2位以内には届かない。4位で進出したJ1昇格プレーオフ。京都サンガ、ファジアーノ岡山を退けて目標を成就させた直後に、山口はピッチで号泣した。
「半年で帰ってきて、自分がやらなくちゃ、というよりは周りに合わせていたことが多かった。来年からはそういうわけにはいかない。曜一朗君や(杉本)健勇を含めて、アカデミー出身の自分たち3人が引っ張っていかなきゃいけないと思っている。
すごく苦しかったけど、でも実りのある1年だった。代表とクラブの両方ですごく成長できたと思う。1年でJ2に戻って来ないように、今日のこの勝利を、何年か前にJ1で上位にいたセレッソというものを取り戻す始まりに、きっかけにしたい」
言葉よりもプレーで引っ張るタイプの山口のなかで脈打つ覚悟は、チーム側にも伝わったのだろう。3年ぶりにJ1へ挑む新体制で「10番」を託された山口は、自身のツイッターで決意をつぶやいている。
「セレッソの絶対的なエースナンバーは8番(柿谷)です!そして8番、9番(杉本)、二人の点取り屋を後ろから支える泥臭く黒子な10番を目指したいと思います!」
新体制会見で発表がありましたが今シーズンから10番になりました。ただセレッソの絶対的なエースナンバーは8番です!そして8番、9番、二人の点取り屋を後ろから支える泥臭く黒子な10番を目指したいと思います!
— 山口蛍 (@hotaru10crz) 2017年1月12日
これから一年間応援よろしくお願いします!
■盟友・清武弘嗣の復帰がもたらす変化
かつて率いたサガン鳥栖を徹底した猛練習でハードワーク軍団に変貌させた尹晶煥監督は、セレッソでも手法を変えない。開幕前のキャンプでは早朝、午前、午後の3部練習が課されることも珍しくなかった。
自陣でブロックを作り、組織で連動してボールを奪い、素早く攻撃に転じる。ボールホルダーへのアプローチの速さとボール奪取術という「個」に長けた山口は、新戦術のなかで我慢を言い聞かせている。
「いろいろな縛りがある分、いままでのように自由には動けないというか。一人で狙いをもっていく、という形はあまりないけど、それが監督の求める守り方でもあるので。どうしても自分がバランスを見る役目になりますけど、いまの状況では仕方ないのかなと」
ジュビロ磐田との開幕戦はスコアレスドローに終わった。2試合を終えて、ゴールはセットプレーから奪った1点のみ。守備から攻撃に移る場面で、前述したようにどうしても連動性が失われてしまう。
リーガ・エスパニョーラのセビージャから電撃的に加入しながら、右太もも裏の違和感を訴えて欠場していたMF清武弘嗣が、次節11日の北海道コンサドーレ札幌戦から復帰することが濃厚になった。
「キヨ君のところで大きな起点ができるから、自分もタイミングよく上がれる、というのはあると思う」
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日本代表でもいぶし銀の輝きを
(c) Getty Images
日本代表としてもともに戦い、そのボールキープ力やパスセンスを熟知しているからこそ、清武の復帰が契機となると山口は信じて疑わない。もちろん、レッズに喫した完敗を無駄にするつもりも毛頭ない。
「いまの段階で浦和さんに対してどこまでできるのか、というのがあった。実際にこれくらいしかできなかったことを、前向きにとらえないといけない。まだ2試合。下を向いていても仕方がないので」
何もできなかった、イコール、時間の経過とともに伸びていく余地があるということ。愛してやまないセレッソの礎を固め、J1に定着させるために。主役を引き立てるいぶし銀の輝きを放つ山口の、寡黙なる挑戦が続く。