【THE INSIDE】竜ヶ崎一、名門校復活へ向けて高まる期待…「千秋の雪積もりたる 富士の高嶺の御姿ぞ」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】竜ヶ崎一、名門校復活へ向けて高まる期待…「千秋の雪積もりたる 富士の高嶺の御姿ぞ」

オピニオン コラム
「千秋の雪 積もりたる…」勝利の校歌を歌う竜ヶ崎一ナイン
「千秋の雪 積もりたる…」勝利の校歌を歌う竜ヶ崎一ナイン 全 12 枚 拡大写真
竜ヶ崎一は過去、春夏合わせて通算10回(春1回、夏9回)の甲子園出場実績がある。

ことに、大正時代は4年連続(実質は5年連続となっているが、米騒動で大会中止となった)で全国出場実績を誇る、戦前の竜ヶ崎中時代からの実績がある。
現在も、多くの高校野球指導者を県内に輩出させている名門校である。

しかし近年は、常総学院などの躍進に気圧された形もあってか、2000年春のセンバツ出場を最後に全国の舞台からは遠ざかっている。それでも、龍をもイメージしてデザインしたと言われている「R」文字が左胸に入った伝統のユニフォームに憧れる選手はいる。というよりも、親の世代が、強い竜ヶ崎一の「R」に対するこだわりが強いと言ってもいいのだろうか。

胸には「R」のデザイン文字、竜ヶ崎一の伝統あるユニフォーム

茨城県内の高校野球の勢力構図は、大きく三本の流れがあるとされている。ひとつ目は、水戸商を源流とする流れ。ふたつ目は茨城県の高校野球の歴史を塗り替えたともいえる、初の全国優勝を果たした木内幸男監督の流れとなる取手二~常総学院の流れ。この二本に対して、もうひとつが、竜ヶ崎一を源流としている流れだ。現在で言えば藤代や石岡一、取手松陽などもそうだ。

その竜ヶ崎一が勝ち上がっていくと、県内の高校野球はさらに盛り上がると言われている。戦前の中等野球時代には竜ヶ崎中として全国の舞台に登場しているが、その歴史は古くて重い。学校そのものが、旧制中学の流れを汲んでおり、県内でも有数の進学校でもあり地元の人気も高い。

校歌も特徴的で、かつて日本陸軍が『歩兵の本領(歩兵の唄)』または『万朶の桜』という曲名として愛唱されていた「万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く 大和男の子と生まれなば…」と歌われていたものの節をそのまま継承した形である。

とはいえ、この『万朶の桜』にしたところで、1901(明治34)年に旧制第一高等学校の寮歌として「アルール川の流血や 凍りて恨み結びけん…」と歌われたものである。それを日本陸軍が唄い継いでいったというところからの継承であると言われている。

竜ヶ崎一の場合は、それが、「千秋の雪積もりたる 富士の高嶺の御姿ぞ 幾万代の後までも 変わらぬ誠の鑑なる」と歌われている。この校歌が球場で流れると、改めて竜ヶ崎一の高校野球としての歴史を感じさせられるような気がするのだ。

竜ヶ崎一の大応援団

そういえばこの旋律は、旧制彦根中の流れを汲む彦根東も応援歌として用いており、甲子園出場の際にも「ああ英傑の夢のあと……」と歌われていた。このように、伝統校ではかつての旧制高校の寮歌などの節回しを継承しているところも多々ある。岩手県の盛岡一の校歌が『軍艦行進曲』のそれと同じ節回しということも甲子園出場で認識されたことがあった。

いくらか話がそれてしまったが、こうして校歌を見ていくことでも伝統校の証をうかがうことが出来る。そんな竜ヶ崎一でもある。勝ってその校歌を球場で聞きたいという古くからのファンも多く存在しているのだ。高校野球とは、そういう人にも支えられているのである。だからこそ、今日までの隆盛を極めているともいえる。

そして伝統校とは、そうした歴史の重みや多くの人の思いも背負いながら、戦っていかなければならないのだ。だから、同じ高校生が試合をしているのにもかかわらず、伝統校には、それなりの空気が感じられるのである。今年の竜ヶ崎一を見ていると、そんな思いを感じさせるものがどこかに漂っていた。

就任2年目となる津脇義明監督は、「伝統の重みは、私には荷が重いですけれども…、選手が精いっぱいやってくれていますから、その伝統をつないでいきながら、少しでも復活へ近づいていければと思います」と謙遜しつつも、確かな手ごたえを感じているようだった。


※竜ヶ崎一は7月23日に行われた「第99回 全国高校野球選手権」の茨城大会・準々決勝で土浦日大と対戦。惜しくも3-6で敗れた。名門復活へ向けた今後の巻き返しに期待したい。

《手束仁》

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