リーグ戦制覇はこれで13度目となり、リーグでは4番目の優勝回数の慶應義塾大の34回に対しても、ずいぶん水をあけられているという事実は否めない。しかし、それだからこそ、立教のこの春の優勝は意味があったとも言えよう。
まさに、歴史的な優勝だった。東京六大学連盟の代表校としては2年ぶりではあるが、立教大としては半世紀以上も間隔が空いた、59年ぶりの優勝だった。
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25季ぶりの優勝への期待を込めて集まった立教大応援席
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立教大・中川君(1年・桐光学園)
そして、立教はこの秋も第4週を終えた段階で優勝の可能性を残している。立教に優勝の可能性があることで、リーグ戦そのものが面白くなるというのは正直なところである。
東京六大学野球は、1925(大正14)年秋に連盟としては最初の試合が行われている。しかし、その原型というか母体となった歴史は、20世紀初頭の1903(明治36)年から始まった、早稲田と慶應義塾の対抗戦である。
そもそも学生スポーツは、かつて官立の旧制高等学校の一高と三高、五高と七高、四高と八高というようにライバル校の対抗戦が原点となっていた。私学の雄の早稲田と慶應義塾も、それに倣って対抗戦として始まったのである。
もっとも、早慶戦は両校の応援が過激になりすぎていったことにより、一時中断を余儀なくされた。そこに、対抗戦復活の仲介をかって出たというような形で明治が加わり、1914(大正3)年に早慶明の3校の対抗戦(厳密には、早慶戦復活は、さらに年月を要する)として復活する。折しも、現在の全国高校野球選手権大会の前身となる全国中等学校優勝野球大会の開催される1年前である。
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明治大学応援旗
日本中に、野球に対する機運、興味がより増していっていたタイミングでもある。やがて、追いかけるように17年に法政と21年に立教が加わって五大学の対抗戦となった。
環境としても、1926(大正15)年に明治神宮外苑に野球場が造られ、そこが学生野球の聖地として今日に至るまでのシンボル的な存在となっていくのである。
こうして発展を遂げた東京六大学野球だったが、帝国主義政策で世界を相手に交戦を仕掛けていった当時の帝国日本の軍国化の中にあって様相が変化する。勃発した太平洋戦争の影響も大きくなり、ついに1943(昭和18)年には、文部省より野球試合の禁止が命じられてしまったのだ。学生野球の聖地だった神宮外苑は、学徒出陣の壮行会を挙行する場となっていた。
それでも、終戦とともにいち早く復活の兆しを見せた。終戦の年の秋には六大学のOBたちによる試合が行われ、11月にはOBも含めた全早慶戦が開催されている。
これらの活動が学生野球復活への光明となり、終戦翌年の1946(昭和46)年春には1回戦総当たりながらリーグ戦が行われた。そして、秋には現在の方式のリーグ戦が復活。やがて、米軍に接収されていた明治神宮球場も、日米講和条約が終結した1952(昭和27)年に返還された。
そして、その後のリーグ戦はすべて明治神宮球場で開催されることとなって、今日に至っているというのが、大まかな歴史である。
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学生野球の聖地・明治外苑球場の外観
こうしたことからもわかるように、やはり日本の野球の原点でもあり、日本の野球を牽引してきた存在が東京六大学野球だったのである。
その中で、唯一優勝経験がないのが東京大だが、国立の東大は選手獲得という点において、他校に比べて大きなハンデを抱えていることは否めない事実だ。それでも、「東大がいてこその六大学」である。
他のリーグ関係者からは、「入れ替え戦のない東京六大学は羨ましい」という本音も聞かれる。しかし、老舗のリーグとして、その背負ってきたものの大きさと重さがあり、学校としての歴史と矜持があること、それこそが東京六大学なのである。
もちろん何度かのマイナーチェンジは重ねてきたであろうが、基本的には変わっていないユニフォームのデザインもそのひとつだ。このように、東京六大学の歴史と存在は大きくて重い。
そしてまた、全日本大学選手権大会や秋の明治神宮野球大会において、他のリーグ戦の代表校が、まずは“打倒東京六大学”を掲げて挑む。そのことで、大学球界全体の底上げとなっている。だから、東京六大学野球がより発展していくことで、さらに全国の大学野球の質もレベルも向上していくことは間違いのないことである。
「集まり散じて人は変われど 仰ぐは同じき理想の光」という思いと、「よき師よき友 集い結べり」という理念は変わらないものである。秋空の下、応援リーダーのはるか遠くから叫んでいるような声に導かれ、鳴り響く校歌や応援歌。やはり、「学生野球はいいものだ」と思わせられる至福の時でもある。