アイスホッケー出身。北海道のケーブルテレビ局に勤務しながら世界各地を転戦。山本純子、35歳だ。3月10日、シーズン最終戦となる第4戦の舞台エドモントン(カナダ)でよどみない口調と笑顔に隠された、この無骨なスポーツにかける熱き思いを聞いた。
基本装備はホッケー用。ヘルメットはスキーのアルペン用
まずは研ぎすまされたボディを包み隠す、装具に目を見張ってしまった。ヘルメットはBMX用をかぶる選手もいるが、「厚みがあって重いので別にいいものがないかと探していたら、スノーボードのインストラクターをやっている妹がアルペン用のものがあると貸してくれました」という。
パンツはホッケーよりもワンサイズ小さいものを選ぶ。ホッケーではパックが当たってもあまり痛くないように、ゆとりを持ったものを身につけるが、それでは動きにくいのでワンサイズ小さいものにしているという。グローブもホッケー用はクッションが入りすぎていてもたつくので、ブルームボールやラクロスといった陸上のスティック競技で使う小さいものを愛用する。
「男子選手は普通の手袋に近いものを着用する人もいますが、私はフェンスにぶつかったときのことを考えて多少厚みのあるものですね」
防寒はアンダーウエアでコントロールする。トレーニングの時は寒さ対策のネックウォーマーをつけることもある。
「第2戦フィンランドのユヴァスキュラはマイナス20度。1週間後の第3戦、フランスのマルセイユがプラス10度。1週間で気温差30度。選手はマルセイユでは汗をかいていました」
芸術家やスポーツ選手の海外活動を支援する財団からサポートしてもらっている以外は、基本的にスポンサー契約はない。パンツにつけたスポンサーロゴは右腿が勤務先の苫小牧ケーブルテレビ、左は「同僚の実家の電気屋さんからかつて心付けをいただいたので」という恩義で配置している。
2010年に国内で開催されたクラッシュドアイス代表選考会で優勝し、本大会に派遣されたのがきっかけ。それ以降も挑戦を続ける意志はあったが、最初の頃は出場したくても出られない規定があったりと思うようにはいかなかった。
「今はコンスタントに出ているので全4戦に出場できています。女子はトップ32までに出場権が自動的に与えられます。これまでは世界ランキングを上げるのが目標だったけれど、今は1勝が目標かな」
一緒に転戦するのはライバルでもあり仲間だ。海外遠征は最長で3週間の休みを取る必要がある。遠征費を削減するためにアパートを一緒に借りてシェアをすることもある。出場選手の多くがアイスホッケー出身で、フランス語圏のカナダ東部やフランス本国の選手が多く、フランス語が普通に耳に届く環境だが、山本は英語でコミュニケーションを取ることに努めている。
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ライバルは、カナダや米国、フランスなどの選手
本当はスピードスケートをやりたかったのに…
「兄と妹がいます。長野県の軽井沢で育ち、お兄ちゃんがホッケーをやっていたので、道具があるからと父親に押しつけられました。私はスピードスケートをやりたかったんですけど(笑)」
中学生の時はスケートシーズンと時期がずれるので陸上競技もやっていて、800mの練習をしていた。集中力の持続は2時間が限界と努力型の選手ではなかったが、当時からスピードには定評があり、人と競うのが好きだったという。
じつのところ、どこの国にも氷のダウンヒル常設コースはないので、なかなか専門的なトレーニングはできないのが実情。スピードに慣れるためにリュージュのコースを借りして滑り降りたこともある。だから「参戦するのがいちばん練習になると思います」という。ダウンヒルスキーの練習も取り入れたことがあったが、感覚的にはインラインスケートのほうが近いのでそれに当てる時間が多い。
「ウォータージャンプも練習に取り入れて、ちびっこコースから始めていきました。慣れるまではやっぱり怖いですよね」
日本の人たちに、このスポーツの魅力を知ってほしい
最終戦。勝ち抜きで4選手だけが出場できる決勝を目指したが、準々決勝のスタート直後に前レースで荒れた氷面に足を取られて転倒。すぐに起き上がって追走したが、準決勝進出の2位にはわずかに届かなかった。
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スタートに立ってコースを確認
すでに来季に向けた思いを脳裏に描いている。選手としてはもちろん、このスポーツを日本に持ち込み、多くの人に生で見てもらいたいという思いがある。日本でのこのスポーツイベント運営の基盤作りのために、国際競技団体の国内組織を整備して、ひとつのスポーツとして確立していきたいという。
国際団体は冬季オリンピックを視野に入れて、2015年からは世界各地で徐々に小さな大会を開催して足場を固めていく計画を進めている。「選手としてプロとして、というよりもスポーツとしての基板を作る活動にこれからは時間を費やしていきたい。特殊なスポーツなので大会が開催される国も参加選手も偏っています。中国や韓国の選手はいないんです。東アジアで普及していければと思います。私にとってはライバルになるんですけど(笑)」