【THE INSIDE】改めて東都リーグの二部と三部の壁の厚さを実感させられた入替戦…大学野球探訪(11) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】改めて東都リーグの二部と三部の壁の厚さを実感させられた入替戦…大学野球探訪(11)

オピニオン コラム
東京農大・順天堂大
東京農大・順天堂大 全 23 枚 拡大写真
早々と関東地方に梅雨明け宣言が出された6月の最終週の金曜日、多くの野球ファンの意識は間近に控えた高校野球の各地区大会に向かっているときである。

全日本大学野球選手権が行われた神宮球場では、その後に東都大学野球の一部二部入替戦が行われ、中央大が何とか踏ん張って二部優勝の日大を退けて一部残留を果たした。

そして、その後には神宮球場で東都連盟のさらにその下の二部三部と、三部四部の入替戦が行われた。神宮球場は学生野球の聖地とも呼ばれており、東都大学野球連盟に所属する各校は、やはり一部校として神宮球場で試合をすることが目標である。加えてリーグ戦では、学校グラウンドでの試合となっている三部校と四部校にとっては、この入替戦では神宮球場が使用されるので格別ではないだろうか。

梅雨明けした六月下旬、炎天下の熱戦

とはいえ、二部の最下位校にとっては、いくら神宮球場で試合が出来るとはいえ、出来れば避けたい戦いでもある。その二部三部入替戦に、東京農大は昨秋に続いて出場せざるを得なくなった。しかも、今春も初戦を落として3回戦までもつれることとなった。万が一、落とすようなことがあれば、秋季リーグ戦は三部で戦わなくてはならなくなる。1931(昭和6)年の連盟発足時からのメンバーでもある老舗の東京農大としては、それだけは何としても回避したいところであろう。

初戦を奪ったのは三部校の順天堂大。その後、連勝で一気に決着をつけたかったところだろうが2戦目はやはり地力の差というか、東農大に屈した。そして迎えた3戦目、いわば天国と地獄を決める試合でもある。まるで、高校野球の夏の大会のような、真夏の太陽が照りつける神宮球場で行われた第3戦は、順天堂大は萩原拓光君(4年・渋川)、東農大は前田剛君(3年・明豊)の先発で始まったが、試合は3回に動いた。

東都大学野球二部・三部入替戦 3回戦(神宮球場)◆東農大が二部残留
スコア

萩原君は、さほどスピードはなくても大きなタテのカーブが有効で、初回、二回と抑えてまずは順調な滑り出しだった。また、前田君も立ち上がりから力の投球で飛ばしていた。初回、2回と無走者で抑えていく。試合は3回に大きく動いた。この回の東農大は先頭の広瀬巧真君(1年・山梨学院)が四球で出るとバントできっちりと送る。そして一番に回って、中村繁君(2年・広島工)が右前打して先制。

さらに、内野ゴロで二塁へ進んだ後、若林冬馬君(3年・玉野光南)が右中間へ三塁打して2点目。なおも、名原滉君(4年・崇徳)の中前打や、六番落合宏紀君(2年・東海大菅生)の一二塁間を破るタイムリー安打などでこの回5点が入った。力の差があることは認めざるを得ない順天堂大にとって、5点のアヘッドは、やはりあまりにも大きすぎた。

4回まで無安打の順天堂大は、5回に2四球と九番和泉亮太君(3年・高知)のチーム初安打で、二塁走者を帰したものの追撃もそこまで。順天堂大は7回からは啓田勇貴君(3年・松山商)、阿部倫太朗君君(3年・緑岡)、衣笠竜世君君(3年・東海大菅生)と1イニングずつつないでいくものの、1点ずつ失っていってしまった。

順天堂大・啓田勇貴君(3年・松山商)

戦国東都と言われて久しいが、東都リーグの場合は、二部と三部の間の実力差というか、三部校にとって二部への壁はとてつもなく厚いのも確かだ。東都の場合、三部校も上3校は順天堂と大正大、学習院大でおおよそ定着している。過去の入替戦実績を見てみると、その三部上位校が二部校を下して昇格したのは2005(平成17)年秋まで遡ることになる。

この年の入替戦では三部の大正大が二部の拓殖大に2勝1敗で昇格。大正大は翌年の春と秋のシーズンは二部をキープしたものの、07年春には拓殖大が昇格して大正大は3季で降格となる。こうしてまた、二部校も定着して、さらに三部校との差が広がっていっているのも現実だ。このあたりは、大学の方針として特待生枠や推薦枠などもあって、一朝一夕に埋め切れるものではないであろう。それでも、少しでも上のステージで戦いたい。そういう思いを吐露しながら戦っていくところに、学生野球としての本来のあり方を感じている。

なお、この試合の前に行われた三部と四部の入替戦では、四部の芝浦工業大が三部の一橋大を8対1で下して芝工大が三部昇格を果たした。昨春に成蹊大に敗れて四部降格となった芝工大だが、1年で戻ってきたことになる。三部の下位校は、こうしてまた、常に四部落ちの恐怖との戦いもあるのだ。こうして、戦国東都は上から下まで続いていることになるのだが、その間に二部と三部の間には深くて長い川があるということである。

《手束仁》

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