2月28日、朝日新聞メディアビジネス局より「平成胃痛大賞」の開催が発表された。これは“平成”に胃の痛くなる局面を乗り越え活躍した人や団体を讃えるもの。
ノミネートされたエピソードは、それぞれ「スポーツ」 「文化芸能」「ビジネス」「ローカル」の4部門から選出されている。今回は、「スポーツ」部門から印象的な2人の人物を紹介しよう。
障害を抱えながら挑戦し続ける“神童”
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成田緑夢選手1994年生まれのフリースタイルスキープレイヤー。4歳で長野オリンピックのスノーボードデモンストレーションを務めた。
その後、緑夢選手は“神童”と呼ばれるほど活躍。兄の成田童夢さん・姉の今井メロさんとともに成田3兄弟として有名に。
しかし、2013年に事故で左足に重症を負い、身体障害者手帳6級相当と診断される。体が資本のアスリートにとって、満足に動けないことは、「胃の痛くなる局面」どころの苦しみではないだろう。
障害を負ったが緑夢選手だが、これを克服してハーフパイプの競技に復帰。現在は2020年の東京パラリンピックに出場することを目標に、走り高跳びへ転向した。
メジャーへの道を切り開いたパイオニア
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野茂英雄さんは1990年に近鉄バファローズへ入団。最多勝やMVPに輝き、プロ野球を代表する投手として活躍した。
1995年にはメジャーリーグへの移籍を決断。当時は日本球界からメジャーリーグへ移籍した前例が少なく、近鉄退団に至る経緯は「わがまま」と批判されることもあった。
しかし、野茂さんは周囲の批判をよそに移籍初年度から大活躍。新人王を獲得するなど日本人メジャーリーガーのパイオニアとしての地位を築いた。
なかなか周囲の理解を得られなかったというメジャーリーグ移籍時の苦しみは想像に難くない。まさしく「胃の痛くなる局面」だ。
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(c)Getty Images
野茂さんの活躍もあり、現在は多くの日本人選手がメジャーリーグに挑戦している。苦しみを乗り越えて日本人選手の先駆者となった実績を、改めて評価してみるのはいかがか。