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ユニフォーム忘れで話題のオーストラリア代表モイラン 映画のような逆転野球人生

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ユニフォーム忘れで話題のオーストラリア代表モイラン 映画のような逆転野球人生
ユニフォーム忘れで話題のオーストラリア代表モイラン 映画のような逆転野球人生 全 1 枚 拡大写真

野球の国別対抗戦『プレミア12』は11月11日からスーパーラウンドが始まった。日本はオーストラリアと対戦して3-2の勝利。オープニングラウンドで台湾から挙げた1勝と合わせて2勝0敗とした。


この試合ではオーストラリア代表のピーター・モイラン投手が、ユニフォームを忘れるという珍事で注目された。


投手コーチのユニフォームを借りて登板


WBSCが公式サイトに掲載している出場選手情報によれば、モイラン投手の背番号は47番となっている。だが日本戦の5回から登板したモイラン選手は背番号33番のユニフォームを着ていた


これはモイラン選手がユニフォームを忘れ、急遽ジェームズ・ベネット投手コーチのユニフォームを借りて出場したため。その情報がテレビ中継中にアナウンサーの口から読み上げられると、ツイッターでは多くの反応があった。



  • モイランユニフォーム忘れたのかわいい

  • 世界野球でユニフォーム忘れたは笑った

  • 背番号違うやんって思ったらユニフォーム忘れたのね


思わぬ形で日本の野球ファンに名前を覚えられることになったモイラン投手だが、試合では1回を無失点に抑える活躍を見せた。


特に1塁ランナーの源田壮亮選手(西武ライオンズ)をアウトにした牽制には「モイランの牽制半端ないな」「モイランの牽制えぐすぎた」と驚きの声が挙がった。


医薬品セールスマンがWBC出場 MLB通算499登板の鉄腕リリーバーに


モイラン投手はアトランタ・ブレーブスなどでメジャー通算13年、499登板の実績があるリリーフ投手だが、その野球人生は波瀾万丈なものだった。


もともとは10代でミネソタ・ツインズと契約し渡米するも、マイナーリーグで2年間プレーして芽が出ず戦力外になっている。その後は母国オーストラリアに戻り、医薬品のセールスマンをしながら、週末に地元のアマチュアチームで野球を続ける半引退生活だった。


転機は背中の手術をきっかけに投げ方をサイドスローに変えたこと。それまで140キロほどしか出なかった球速が最速150キロまでアップ。球質も以前より大きく動くように変わった。


2006年にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)オーストラリア代表に選出され、ベネズエラ戦で現役メジャーリーガーたちから4つの三振を奪う。この投球がスカウトの目に留まりブレーブスと契約して、再び渡米することになった。



(c)Getty Images



メジャーデビューを果たしたモイラン投手は、ブレーブス在籍7年間で3度のシーズン80試合以上登板を記録する鉄腕リリーバーとして活躍した。


その後はケガで苦しむ時期もあったが、2016年のカンザスシティ・ロイヤルズ移籍をきっかけに復活。1年目に50登板すると、2年目の2017年は38歳にしてリーグ最多の79試合に登板した。


2017年にはメジャーリーグの通算在籍年数が満8年を超えたと認められ、メジャーリーグ機構からリーグ全球団の本拠地で好きなときに野球が観られる(ポストシーズンは除く)生涯パスを進呈されている。


モイラン投手はインスタグラムで「2006年のWBCに参加したとき自分は医薬品のセールスマンだったが、今日これを受け取ったよ #nevergiveup」と感慨深そうに生涯パスの写真をアップした。



 











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In 2006 i was the Pharmaceutical salesman who pitched in the WBC. Today i received this. #nevergiveup


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