比嘉大吾が戦った復帰戦 1年10カ月ぶりのリングまでを振り返る | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

比嘉大吾が戦った復帰戦 1年10カ月ぶりのリングまでを振り返る

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比嘉大吾が戦った復帰戦 1年10カ月ぶりのリングまでを振り返る
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比嘉大吾、2月13日に復帰戦決定


元WBC世界フライ級チャンピオンにして、15戦連続KO勝ちの日本タイ記録保持者。1年10カ月のブランクを経ての復帰は、ボクシングファンにとって待ちに待ったビッグニュースのはずだった。


しかし、そのニュースに熱気は乏しかった。


本来なら世界タイトルマッチのセミファイナルでもいいはずだが、その日のメインイベントは吉野修一の日本ライト級タイトルマッチ。


比嘉選手の相手はフィリピン・バンタム級11位で戦績は7勝4敗。ノンタイトル8回戦、119ポンドの契約ウエイトとなっている。これは、あまりにアンダースペックではないか?


どんな経緯で復帰戦が組まれたのか、一連の流れを振り返ってみよう。


《文:牧野森太郎●フリーライター》


カンムリワシの闘争心に感動


比嘉大吾は1995年生まれ、沖縄県浦添市出身。幼いころから運動神経が抜群で、中学生までは甲子園出場を目指す球児だった。


ところが、たまたまテレビで観た具志堅用高のドキュメンタリー番組に感動、ボクシンググローブを嵌める決心をした。カンムリワシが、純真な少年の心を文字どおり鷲掴みにしたのだった。


宮古工業高校でボクシングの手ほどきを受け、卒業後は大学進学を希望していたが、故郷・沖縄に逸材がいると聞きつけた具志堅会長が自ら宮古島に飛んで勧誘。比嘉選手は、憧れの人の説得に応じ、白井・具志堅スポーツに入門を決意する。



(c)Getty Images



この経緯は、拓殖大学に入学が決まっていた具志堅用高を共栄ジムが羽田空港で迎え、半ば拉致するように入門させた逸話を思い起こさせる。


その時のことを「クルマに乗ったときは、拓殖大の人だと思っていたんだよ」と、具志堅会長は回想している。


デビュー以来15試合連続KOのパーフェクトレコード


具志堅会長と野木トレーナーの指導を受け、比嘉選手の天性のパンチ力が一気に開花する。


2014年6月のプロデビュー戦を1回50秒の電撃KOでクリア。以降、バッタバッタとKOの山を築いた。最初の5試合で要したラウンドは、たったの7回。マイク・タイソンのデビュー当時を思い起こさせる快進撃となった。


比嘉選手のボクシングスタイルは「典型的なファイター」だ。チャンスとみるや相手の懐に入り込み、強いパンチを叩き込む。


サウスポーとオーソドックスの違いこそあれ、その背中にカンムリワシのラッシュがダブらないはずがない


「比嘉はいいヨー、比嘉はいいヨー。チャンピオンになれますよ」


会長は愛弟子に目を細めた。英雄との二人三脚が比嘉選手の人気を押し上げた。


2017年5月20日、比嘉選手は、ついにファン・エルナンデからWBC世界フライ級王座を奪取。2018年2月には1回KOで2度目の防衛戦をクリアするとともに、15試合連続KOの日本記録に並んだ。


また、地元沖縄での防衛は、具志堅会長が最後の試合で失敗した唯一の“やり残した仕事”でもあった。



(c)Getty Images



こうして、日本ボクシング界はWBO世界スーパーフライ級を7連続防衛の井上尚弥比嘉大吾2枚看板時代を迎え、ファンは両者のドリームマッチに胸を躍らせた。


絶頂から地獄へと、真っ逆さまに転落


3度目の防衛戦は4月15日に組まれた。前の試合から、わずか2カ月後。これが悲劇の布石となる。


2月の試合後に体重が増えた比嘉選手は、短期間の減量に失敗。前日計量でなんと900グラムもオーバー、リングに上がる前に王座剥奪という日本ボクシング史上初の失態を犯した。


試合はタオル投入による9ラウンドTKO負け。具志堅会長は「今の子には、2カ月の試合間隔は無理だった」と、7年間の現役生活で24戦した自分を振り返るように呟いた。


日本ボクシング協会の裁定は無期限資格停止処分と厳しかった。比嘉大吾の名前は、すっかり消えてしまった


クラスを上げての復帰戦はTKO勝ち


そして、1年10カ月ぶりのリング。彼は硬い面持ちでそこに立っている。


まだ、1年10カ月しか経っていなかったのか、と思う。それほどに空白は濃く重い。ブランクの間、ボクシングはもちろん、何の仕事もしていなかったという。酒に溺れていたとも……。


試合は、“あの”ボディブローでフィリピン人の体を二つにへし折って6ラウンドTKO勝ち


後楽園ホールに「大吾コール」が渦巻くも、彼は「ファンが盛り上がっても、本人にやる気がなければ意味がない」とリング上から冷水を浴びせた。リング下の会長も「精神的な面が……」と言葉が少ない。


このまま辞めてしまうのか、と怖くなる。でも、それなら、なぜ戻ってきたのだろう?


かつてのライバルは遠い世界へ駆け上がってしまった。24歳の心に“あの”闘争心が甦ることはあるのだろうか。


《文:牧野森太郎●フリーライター》

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