松井秀喜の国民栄誉賞を振り返る ワールドシリーズMVPの偉業 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

松井秀喜の国民栄誉賞を振り返る ワールドシリーズMVPの偉業

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松井秀喜の国民栄誉賞を振り返る ワールドシリーズMVPの偉業
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ロサンゼルス・エンゼルス大谷翔平が獅子奮迅の活躍を魅せ、二刀流として復活せんとしている2020年から振り返るとなかなか信じがたいことに、1990年代はまだ日本人メジャーリーガーの実力につねにクエスチョンマークがついて回る時代だった。


1995年5月2日にロサンゼルス・ドジャースから野茂英雄がデビュー。八面六臂の快投で「ノモマニア」なる言葉まで生み出し、オールスターでナショナル・リーグの先発投手となった。この時のアメリカン・リーグの先発は当時、シアトル・マリナーズのエースだったランディ・ジョンソン。野茂のオールスター登板には、アメリカに住む日本人が「すべて」歓喜した……と表現して差し支えない。


ニューヨーカーの疑念を振り払った“デビュー満塁打”


(c)Getty Images


野茂の後、日本人投手が海をわたる流れが作られたものの、野手としてプレーする選手はしばらくなかった。スポーツ好きのアメリカ人には必ず「日本人は非力だから、打者としては通用しない」、そう結論付けられた。


その頃から「イチローのような選手ならメジャーで通用するはずだ」と反論したものだが「Ichiro? Who?」というのが当時の反応。CNN時代の同僚とはたびたび議論になったが、最後には「論より証拠を見せろ」と突き放された。


21世紀になり当の本人がメジャー・デビューを果たすと、その後の活躍はご存知の通り


しかし、偏見に満ちたアメリカ人にひと泡吹かせるためには、やはり「日本人スラッガー」の登場が望まれた。そんな時代の中、2003年に松井秀喜ニューヨーク・ヤンキースからデビューした。


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果たして松井は活躍できるのか」、今では愚問だが、当時は当然の疑問だった。だが4月8日、極寒の影響で1日ずれたヤンキースタジアムでのホーム開幕戦、松井は満塁機にミネソタ・ツインズジョー・メイズが投じた一球をスタンドに叩き込み、ニューヨーカーの懸念を振り払った。


バーニー・ウイリアムスは日本ではそれほど有名ではないが、デレク・ジーターらとともに90年代のヤンキースを支えた名手。イチローがヤンキースへ移籍した際、「51はバーニーの背番号」と固辞、31を背負ったエピソードは日本でも知られている。その不動の4番バーニーが敬遠されたあとの満塁弾だっただけに、ヤンキース・ファンのハートを鷲掴みにした。


この満塁ホームランには「日本人選手が……」という形容は必要なかった。松井は世界一歴史あるヤンキースにおいて、本拠地デビュー戦で満塁弾を放った最初の選手となった。


この一発にはまさに溜飲を下げる思いだった。


2009年ワールドシリーズでの活躍と、国民栄誉賞


(c)Getty Images


2013年5月5日、松井秀喜は恩師でもある「ミスタープロ野球」長嶋茂雄とともに国民栄誉賞をW受賞。東京ドームで松井がミスターに相対する「始球式」が催され、ミスターが本気で打ちに行くという珍シーンも記憶に新しい。


記憶」、そうこの2人の共通点はまさに記憶に残る名シーンの数々だろう。


松井を語る上で欠かせないのは、2009年のワールドシリーズだ。それまで左手首の骨折、両膝の怪我に悩まされていた松井がメジャーで燦然と輝いた。ヤンキースは2003年以来、6年ぶり同シリーズ進出。前年の覇者フィラデルフィア・フィリーズとの対戦で松井は主にDHで5番に座り、そのクラッチ・ヒッターぶりを遺憾なく発揮した。


第2戦6回裏同点で迎えた第2打席、ペドロ・マルティネスから決勝打となるホームランを放つと、DHが認められないナショナル・リーグ・チーム主催試合の第3戦でも代打ホームラン。さらに3勝2敗で本拠地に戻った第6戦にDHで出場。またもペドロから先制の2ランを放ち、ワールドシリーズ・タイ記録となる1試合6打点を挙げた。


サイヤング賞3度受賞、野球殿堂入りも果たしたペドロを松井が打ち崩したという事実はニューヨーカーにも強烈な印象を残した。ペドロと言えば、にっくきボストン・レッドソックスのエースとして長らく君臨していた心証が強いこともあった。


ワールドシリーズで松井は13打数8安打3本塁打8打点、打率.615の成績を残しヤンキース9年ぶりの世界一に大貢献、MVPに選出された。松井はポストシーズンで10本ホームランを放っているが、うち3本が同シリーズで飛び出した。


「日本人打者はメジャーでは通用しない」、いったい誰が言ったのか……。通用しないどころか、DHとしても史上初のMVPだ。あのCNNの元同僚の連絡先がわかるなら、「ほれ、見たことか」と言ってやりたい。


(c)Getty Images


ニューヨーク・メディアのヤンキース選手への辛辣さは、日本でもよく耳にするが実際、現地に住みメディアに接していると、その強烈さには舌を巻くほど。批難されない選手はない。しかし、松井はメディアから「ナイスガイ賞」を授与されるほど評価されていた。今でも松井が常にヤンキース・ファンの歓迎を受けるのは、そんな彼の人徳が評価されてのこと


ヤンキースはこの2009年以来、シリーズから遠ざかっている。


残念ながらチームは松井との契約を更改せず終い。これは1996年やはりシリーズMVPに輝きながら移籍を余儀なくさせられたジョン・ウェッテランドに続いての出来事。ヤンキースの情のなさが際立つ。ベーブ・ルース移籍に伴うボストン・レッドソックスの「バンビーノの呪い」のように、しばらく優勝に見放されているヤンキースに「秀喜の呪い」などというジンクスが生まれなければよいが……。松井のMVPがニューヨーカーにとっていかに重い意味を持つか、日本人の我々にも理解できるだろう。


松井の国民栄誉賞受賞は、もちろん日米を通しての活躍に準拠するのだろうが、このシリーズMVPこそが、それを決定づけたと信じている。2009年のワールドシリーズは、それほどまでに鮮烈だった


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著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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