【スポーツ誌創刊号コラム】『T.Tennis(ティー・テニス)』の「T」は何を指すのか… 休刊後も謎すぎて眠れない | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツ誌創刊号コラム】『T.Tennis(ティー・テニス)』の「T」は何を指すのか… 休刊後も謎すぎて眠れない

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【スポーツ誌創刊号コラム】『T.Tennis(ティー・テニス)』の「T」は何を指すのか… 休刊後も謎すぎて眠れない
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ずっと不思議に思っている。しかし、いまだに謎。


学習研究社から発行されていたテニス・マガジン『T.Tennis(ティー・テニス)』の最初のTが何を指すのか、私にとって謎のままだ。


『ティーティー』と呼ばれた同誌は、1982年5月号として創刊。表紙の左肩にも「テニス技術誌」とあるとおり、テニスの技術論をテーマにすえた専門誌だけに「テクニック」のTと推察するのが、まっとうである気がする。しかし、創刊号を手に入れるに至り、創刊の挨拶などに、それを紐解く言葉が託されているかと期待したものの、ついぞ見つけられず終い。さらにさらに、実は新入社員時代の同期が同編集部に配属されていたにもかかわらず、その答えははっきりしないままだ。


■「ティーティー」なのか「ティーテニス」なのか……


「T.Tennis」という題字の上には小さく「ティーティー」とルビがふられている


まずは表紙をご覧頂く。この表紙が実に「学研的」。ご存知の方も多いだろうが学研は「雑誌屋」というよりも『学習と科学』(ちなみに社内ではGKと呼んだ)や『中2コース』などに見られるよう、そもそも「学習誌屋」だ。ファッショナブルな表紙のデザイン…という観点からほど遠く、表紙にはさまざまな情報を盛り込む癖がついている。


新雑誌創刊だからと言って、学習誌を編集していた編集者が大変身するわけでもなく、デザイナーを新規に雇用するわけでもない。ある日、突然テニス雑誌の編集として参画する。するとご覧のようにゴチャッとした表紙に仕上がる。


モデルを中心においているにも関わらず、右肩にはハンサム(←死語か…)のインタビュー写真、その左横にはラケットを持ったライオンのイラスト、表紙左側にはジョン・マッケンローのプレー写真を配し、右下にはビヨン・ボルグのイラストを差し込む。「T.Tennis」という題字の上には小さく「ティーティー」と丁寧にルビまである。この雑誌の名称は、いったい……。「ティーティー」なのか「ティーテニス」なのか……謎は深まる。


いや、disるのはこの程度にしておこう。またも諸先輩方のお怒りを買うやもしれん。


■ウッド時代の「木製ラケット」広告


「スラセンジャー」の見開き広告は「木製ラケット」


表紙を捲ると「スラセンジャー」テニスラケットの見開き広告。スラセンジャーは1881年に創業された、もっとも古いスポーツメーカーのひとつ。現在は少々マイナーゆえ知名度は低いが、息の長いメーカーとしてテニスファンからは支持を受ける。


広告をご覧になっておわかりになる通り「木製ラケット」だ。ティーティー創刊当時、ちょうど木製からカーボンフレームの複合素材への転換期にあたり、この「ウッド時代」に終止符が打たれる時期だ。


私が初めてテニス・ラケットを握ったのは中学2(1979年)、自宅にあったラケットもウッドだった。この広告でも77年に全米オープンを制覇したギレルモ・ビラスのラケットは、外側よりメイプル、アッシュ、ファイバー、アッシュ×3、メイプルの7層から構成されている点が明記されている。


「ウッドの時代」。ラケットを見ただけでそれが把握できる……そんな資料的価値がある広告が38年の時を越え、手元に残っている点に雑誌媒体の良さがある。読者のみなさんが今、ご覧になっているこのページにも、本文の右側にバナー広告が表示されていることだろう。しかし38年後には誰も記憶しておらず、広告そのもの跡形も残っていない。それが紙とデジタルの大きな差だ。


エッセイ入選者15名をウインブルドン男子準決勝および決勝観戦に招待という「ロレックス」の広告


P4、P5は「ロレックス」の見開き広告。学研がロレックスの広告を取れるとは知らなかった。ロレックスは1978年から全英オープン=ウインブルドンの公式時計として採用され現在に至る。そのおかげだろう、多くのテニスファンにとって、ロレックス=ウインブルドンというイメージが確立されている。しかも、さすがロレックスは、ここでも太っ腹。800字のエッセイを募集の上、入選者15名をウインブルドン男子準決勝および決勝観戦に招待するという。その広告だ。


1988年に初めて観戦して以来2006年まで、全米オープンに限って言えば、1994年からの5年連続を含め7シーズン分を観戦している。しかし、いまだウインブルドン観戦の機会には恵まれずにいる私にとって、現在このエッセイコンテストが行われていたなら、10作品ぐらい応募していたに違いない。1980年代……いい時代だったのだ。


■「サソトリー」という誤植を発見


福井烈を据えた連続写真によるストローク・チェック


P7からは全日本選手権7度制覇の実績を持つ福井烈を据えた連続写真によるストローク・チェック。YouTubeがありプロプレーヤーのストロークをいくらでも動画で研究可能な現在から振り返ると嘘のようだが、こんな連続分解写真でも参考にせざるをえなかった。コーチング本を読み、静止写真を眺めては、自身のプレーの参考にしていた、そんなアナログの時代だ。


目次ページいっぱいに詰め込まれた特集の数々


P15に目次。ご覧の通りページいっぱいに詰め込まれた特集の数々。コンテンツ盛りだくさんだ。それだけでは飽きたらず、右肩にはボルグの小さな写真を掲載、4月17日から開催されるサントリー・カップの前振りまで入れ込む念の入れ様だ。


サントリーカップのノベルティプレゼントページ。よくみると「サソトリー」という誤植……


時にP41にサントリーカップのノベルティプレゼントページがある。とても残念なことに、ここに「サソトリー」という誤植を発見。間違いさえも長く残ってしまう……それも雑誌の興味深い点だ。


■名プレイヤー、バン・パッタンの独占インタビュー


当時、日本のCMにも出演していたビンセント・バン・パッタンの独占インタビュー


創刊号の目玉はビンセント・バン・パッタンの独占インタビュー。俳優として「ビンセント・ヴァン・パタン」と表記されることも多い、当時のテニス・プレーヤー。オールド・ファンでも記憶している方はそう多くはないかもしれない。


1980年前後、テニス・プレーヤーとして全盛期を迎えた選手は、もともと俳優として知られていた。1979年にツアーデビューを飾ると、ATP最優秀新人賞を獲得。1982年に行われたセイコースーパーテニスでは、なんと準決勝でジョン・マッケンローを撃破、その勢いで優勝を飾った。彼のキャリアハイライトとされ、当時は日本のCMにも出演したほど。そんな彼をティーティー編集部の本條強がマリブビーチでインタビューした記事だ。海外にまでインタビューに足を運べたとは当時、学研はいい会社だったのだなぁ。


残念ながらバン・パッタンのテニス人生は順風満帆とは進まなかった。シングルスでは82年のランキング26位が最高。全米オープンでも3回戦まで進んだのが最高の戦績だ。振り返ると日本でマッケンローを破った末の優勝は、まさに彼のキャリアのハイライトだった。


バックハンドの両手打ちが定着した時代背景が把握できる「両手打ち大研究」コーナー


P27からの「両手打ち大研究」コーナーでは、アンドレア・イエーガーの写真を扉に、ボルグクリス・エバート・ロイドジミー・コナーズのバックハンド写真を公開。バックハンドの両手打ちが定着した時代背景が把握できる。「天才少女」と謳われたイエーガーも残念ながら、シングルスでグランドスラムを制すことはできなかった。頂点を争うプロの世界とは、誠にシビアだ。


■ウッドからアルミ、グラファイトへの転換期


同じく学研から創刊される『DoLiVe』広告の対向に「デカラケ」特集の扉


様々な素材の組み合わせたラケットが陳列された「デカラケ」特集


P47「デカラケ」特集の扉は、同じく学研から創刊される『DoLiVe』の広告と抱き合わせ。こちらの創刊号は所持しているが「スポーツ誌」がテーマの本コーナーでは紹介できないのが残念。このデカラケ特集に目を通すとウッドの時代からアルミ、グラファイトを使用したラケットへの転換期である点が一目瞭然。メーカーが「アルミに初挑戦」、もしくはウッドとカーボンのコンポジット、カーボンとグラスファイバーなどなど様々な素材の組み合わせたラケットが陳列されている。


バッドの素材が時代とともに変化したりはしない野球と異なり、メインツールの素材が時代とともに変遷、それでも「同じテニス」である点、競技としても非常に興味深い。21世紀の現代、ウッド・ラケットを使うプレーヤーがいたら、たまげるに違いない。


「グンゼ」がテニスウェアを作っていたとは……


P63には全米オープンの契約ウェアとして「グンゼ」の広告が…。いや、グンゼがテニスウェアを作っていたとは知らなかった。


■「男は車、女はカワイコちゃん」


サブタイトルが「男は車、女はカワイコちゃん」の「全国大学テニス同好会ガイダンス」


大学クラブの特徴に「ノンノ、アンアンなどでも大活躍」


P67からは全国大学テニス同好会ガイダンス……。「男は車、女はカワイコちゃん」というサブタイトルから「テニスサークル=ちゃらちゃら」というイメージはすでに80年代に確立されていたのがわかる。テニスサークルのはずが特徴に「ノンノ、アンアンなどでも大活躍」と出たがり度まで記載されている。えーっと、「テニス技術誌」ではなかったのか、ティーティー。


国内学生大会から海外メジャー大会まで試合結果を掲載


「カップルでプロに挑戦」企画では佐藤直子が登場、今なら「おお」と驚くところだろうが、地味にモノクロ3Pで終わっている点はもったいない。当時はもちろんインターネットなど存在しない。テニスの試合結果も国内学生大会から海外メジャー大会まで丁寧に掲載されている。


■新雑誌創刊の噂は耳にしないテニス界


「残るは悔いばかり」と綴っている編集長・菅沼州夫の編集後記


P146には雑誌お決まりの編集後記。編集長の菅沼州夫が「もう少しまともなものができたはずですが、創刊号という定めでしょうか。残るは悔いばかり」とその心境を吐露している。同誌もすでに2010年11月号をもって休刊。つい先日「休刊になった」と思い込んでいたのだが、なんとすでに10年が経つ。元学研社員として寂しい限りだ。


日本には2度テニスブームがあったとされている。一度目は、現在の上皇・上皇后様のご成婚に発展した「テニスコートの恋」の時代。ちょうど1960年前後。二度目は1980年前後。2017年公開の映画『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男(Borg vs McEnroe)』は1980年ウインブルドンでの2人の対決をメインに据えた作品。こうしたブームに乗って『ティーティー』は創刊された。


『ティーティー』創刊号別冊付録 付録は学研の「オハコ」


それから40年、現在日本のテニス界には日本史上最強としてよい男女のプレーヤー、錦織圭大坂なおみが君臨しているにも関わらず、テニス人口は減少傾向。ワールドカップの大成功により、競技人口が増加しているラグビーとは対照的だ。


雑誌業界は斜陽産業と目され久しいが、Bリーグ・スタートなどの影響もあり、バスケの新雑誌は創刊されている。しかし、グランドスラムを3度も制したプレーヤーを輩出しながら、新雑誌創刊の噂は耳にしないテニス界もやや寂しい。


それにしても休刊済とは言え、38年の長きにわたりテニス界を支えた『ティーティー』関係者のみなさん、お疲れさま。多少の放言はご放念のほどを。そして、最初の「T」の意味が明らかであれば、ぜひご教示のほどを。考えると、夜も眠れない……。


著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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