【野球】プロ野球史を作るのは誰か 最後の「記録の神様」千葉功氏追悼 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【野球】プロ野球史を作るのは誰か 最後の「記録の神様」千葉功氏追悼

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【野球】プロ野球史を作るのは誰か 最後の「記録の神様」千葉功氏追悼
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■プロ野球の歴史は記録員によってこそ残される


◆記録の価値がわからないのは「野球にとっては大変不幸なこと」


プロ野球史は誰によって作られるか……。


もちろん華々しい活躍を魅せる多くの名選手なくしてプロ野球はありえないだろう。また、球団創設に、またその存続に尽力した経営者の数々も忘れてはならない。そして、そうした選手や球団を支えるファンたち……ファンなくしても、またプロ野球はない。


しかし「プロ野球史」を作り上げたのは、ふだんスポットを浴びることはない、幾多の野球の記録を綴って来た記録員として間違いない。


選手たちがグラウンドに立ち、試合が行われる。そこで投じられる一球一球をストライクボールか正式にスコアブックに書き留め、その球の行く末を見定めヒットエラーか結果をすべて記録する……この役割を担うのが、公式記録員たちだ。記録員なくして、また野球の結果は残されない。プロ野球の歴史は記録員によってこそ残される。


■最後の「記録の神様」、千葉功氏が亡くなる


そうした記録員の中でも、「記録の神様」と呼ばれる存在がいた。


そのひとりが現在の「野球規則」を定め、初代パシフィック・リーグ記録部長に就いた山内以九士(やまのうち・いくじ)氏。日本初の公式記録員とされる広瀬謙三(ひろせ・けんぞう)氏らとともに、野球のルールブックを翻訳、現在の「防御率」「自責点」などの言葉を生み出したとされ1985年、特別表彰により野球殿堂入りを果たした。


また宇佐美徹也(うさみ・てつや)氏はその山内に師事、現在公式記録としてメディアに露出されているすべての源となる日本野球機構(NPB)のデータベース「ベースボール・インフォメーション・システム(BIS)」の構築に尽力、初代BISデータ本部室長を務めた。1989年より(89=野球の年だ)稼働しているこのデータベースの存在がなければ、日本中の読者が目にするプロ野球の記録はもっとお粗末だったろう。宇佐美氏は2009年に鬼籍に入り、殿堂入り候補となりながら選出されることはなかった。


週刊ベースボール』に連載された千葉功(ちばい・いさお)氏の「記録の手帳」は連載2897回を数え、「プロ野球ファン」を自認する方なら一度は通読した経験がある超名物企画だ。


その千葉氏が1月26日、亡くなった。


病に倒れ同連載は2017年に休止。つい先日、宇佐美氏についての記事を起こしつつ「そう言えば、神様はどうされているだろうか」と思いを巡らせた矢先に届いた訃報だった。これで3人の「記録の神様」が全員、天に召された。


千葉氏は1935年5月22日東京都出身。54年にパ・リーグ事務局に入り、主に公式記録員として活躍。75年にはパ記録部長となり97年に退いた。スポニチによると、公式記録員として書き留めた試合は1810試合。神様らしく、連載回数も含め、記録的な数字を残された。ベースボール・マガジン社から『プロ野球記録史』も刊行。まさにプロ野球が積み重ねて来た記録を今日に伝える功績を残した。


NPB記録データ管理部山川誠二次長は「パ・リーグ記録部長のときに、私を採用して下さった大恩人です。今の記録員という仕事に憧れたのは千葉さんの存在があったこともあります」と追悼を述べた。


■記録の価値がわからないのは「野球にとっては大変不幸なこと」


◆プロ野球の歴史は記録員によってこそ残される


MLBでは近年、ビリー・ビーンが持ち込んだセイバーメトリクスなどにより『マネーボール』時代となり新たな指標に価値が見いだされつつある。しかしこうした指標はあくまで個々の選手を評価するための指針であり、野球というスポーツを記録する数字ではない。最近、日本のプロ野球、そしてメディアも時折、履き違えた数字を「記録」として掲示するケースが散見される。


その代表例が投手の球速。スポーツ紙でさえもが「日本最速」などと形容するが、それを計測するスピードガンには個体差および誤差があり、球場によって計測値の違いもある。164km/hか165km/hかは、ほぼ誤差の範囲。それをまるでプロ野球としての新記録であるかのようにもてはやく風潮は、いかがなものかと考える。


それに飽きると今度は「ボールの回転数だ」などと言い出し、その数字を踊らせる。もちろん、野球を見るひとつの切り口としては文句もない。「野球は記録のスポーツ」とは呼ぶものの、陸上競技ではない。ボールの速さを競い、ボールをいかに遠くに飛ばしたかを自慢するスポーツではないのだ。どうにも木を見て森を見ず……のような数字を追い求める傾向が近年強くなっているようだ。


こう書き記しておきながら、こうした公式記録に重きを置く視点は、すべて先人の受け売りだ。記録の神様がみな鬼籍に入ってしまった今、野球へのこうした苦言を呈してくれる先人を、どこに求めれば良いだろうか。NPBでは現在、「BISデータ本部室長」さえも不在となったまま。「野球のために尽力」という御仁も見かけなくなって久しい。


千葉氏の逝去にあたり、メディア関係者とも会話する機会があった。すると、宇佐美氏、千葉氏の野球殿堂入りが実現しないのは、近年の関係者や選考委員が金勘定ばかりで「記録の価値がわからないから」と結論付けられていた。「野球にとっては大変不幸なこと」との見立てに、異論を唱えるのは難しい。


これまでの歴史ある野球の記録を無視するかのように「暫定的に」DH制を導入するなどという発言がバラまかれるのも、そんな無知から生じるのだろう。しいては「ファンタシースポーツ」という数字、記録から導き出される野球の愉しみ方が定着しない点も、日本人の記録への無頓着さの表れかもしれない。


「たかが選手が」と同様、「たかが記録員が」と卑下するような関係者があってはならない。


あらためて千葉氏のご冥福をお祈りしたい。


著者プロフィール


たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー


『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。


MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。


推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。


リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。


著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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