最速120キロの美女左腕・笹川萌が語る「野球と私」前編・白球を追い続けた学生時代 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

最速120キロの美女左腕・笹川萌が語る「野球と私」前編・白球を追い続けた学生時代

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最速120キロの美女左腕・笹川萌が語る「野球と私」前編・白球を追い続けた学生時代
最速120キロの美女左腕・笹川萌が語る「野球と私」前編・白球を追い続けた学生時代 全 1 枚 拡大写真

今、女子野球が再び盛り上がりを見せている。


近年もNPB経験者が女子プロ野球チームに参画するなどの動きはあったが、2020年にはNPBの加盟球団が公認する初の女子硬式クラブチーム「埼玉西武ライオンズ・レディース」の活動をスタートさせ、2021には同様に「阪神タイガース Women」が発足した。


こうした盛り上がりについては、女子の視点から野球の魅力をYouTubeなどで発信してきた存在も無視することはできないだろう。有名チャンネルとのコラボなどで披露されるダイナミックなプレーが、SNS上を騒がすことも決して珍しくはなくなっている。


SPREADではそんなYouTubeで活躍する“野球女子”の代表格でもある、笹川萌さんを単独インタビュー。


【画像ギャラリー】笑顔が眩しい笹川萌さんのプレー写真および私服オフショット


出演したYouTubeの総再生回数は3,000万を越え、明るい笑顔と可憐な姿が魅力の笹川さんだが、高校や大学在籍時には全国の舞台でも活躍し小気味良い直球も投げ込むなど、さしずめ“野球選手”と形容しても過言ではない経歴の持ち主だ。


インタビュー前編は、これまであまり語られることのなかった笹川さんの「学生時代と野球」を紐解いていく。


笹川 萌1995年5月19日生まれ(25歳)神奈川県横浜市生まれ趣味:野球観戦、映画鑑賞、美味しいものを食べること特技:スポーツ、中国語YouTuberとして活動する傍ら、「ムコウズ」「amazing」などでもプレー中


■「男子には負けたくない」


父親が少年野球の監督を務め、兄も野球をしていたという笹川家、笹川さん自身も「最初は着いていくだけだったんですけど、ボールを投げたり遊んでいるうちに、自分も少年野球チームに入っていました」と、野球一家らしい“デビュー”を飾る。


小学生~中学生の頃は、男子と共に地元のクラブチームでプレーをしていたが、成長期を迎える男子と同じ練習メニューをこなしていた中学時代を笹川さんは「キツかった」と振り返る。決して「練習が」ということではない。成長期を迎える男子との体力面の差を埋める必要があったのだ。


「家での食事を増やして、体格やパワーで(男子に)負けないように。さらに毎日走り込んで、体力的にも負けないようにしていました。『男子には負けたくない』といつも思ってました(笑)当時は髪型もバリカンで短くしていたので、女子トイレに入ると『そっち、女子トイレだよー!』と管理人さんに言われたり(笑)」。


その後、笹川さんは野球の名門校として知られる横浜隼人高校に進学し、高校野球の世界に飛び込む。入学当初から投手を務め、1年~2年生時には全国大会連覇にも貢献。そして軟式であった女子野球部は、2012年9月から硬式に移行する。


「自分の中では大きな変化だった」という硬式への挑戦であったが、硬式ならではの“打球の速さ”や“飛距離”に新たな魅力を感じながら、これまでは未経験であった「女子と一緒に野球をプレーする」という新しい喜びを見出したのもこの高校時代だという。


「中学までは男子のクラブチームに所属していたので、女子と一緒にプレーをする機会がなかったんですけど、高校に入学して女子野球部に入ってからはどちらも違う良さがあって楽しかったです」。


■進路希望は意外にも「コンビニ店員」


野球名門校で女子野球に身を捧げ、大舞台も経験。しかし、意外なことに「すんなり進学」とはいかなった。


高校3年時の進路相談で笹川さんが希望したのは、野球の強豪大学ではなく、「コンビニ店員」だった。


「高校3年生の進路ではだいぶ悩んだんですけど、最初は大学で野球をするつもりがなく……ずっとコンビニの店員がやりたくて(笑)。バイトも禁止だったので、そういったことをやりたいんですと伝えたら、『(せっかく野球の実力があるのに)大学でプレーしないなんてお前はバカか』と叱られました(笑)」


バイトも禁止され、部活に高校時代を捧げた笹川さんにとって、他の高校生たちが過ごす“外の世界”は「本当にキラキラ見えましたね」と振り返る。


その後、指導のため横浜隼人を訪れた尚美学園大学の監督との出会いなどを通じて、「大学野球は大学でしかできない。バイトはいつでもできる」と、尚美進学へ翻意したわけだが、この時の決断次第では現在YouTubeなどで活躍する「野球女子・笹川萌」は存在していなかったかもしれない。


紆余曲折を経て進学した尚美は、全国有数の女子野球強豪校だ。部員は全国各地から集まり、笹川さんも親元を離れて川越で一人暮らしを始めた。50名前後という部員たちは、女子野球専用のグラウンドも備わった優れた尚美の施設で白球を追いかける。


そんな環境でありながらも、笹川さんにとっての大学時代は当初「一番野球を好きではなくなった時期だった」という。その理由は、1年生時の肩の怪我であった。


■真剣勝負の世界でも常に楽しみを見出す


大学時代は打者へ専念し、現在もその打棒を発揮中(写真:本人提供)


1年近く投げることを諦めざるを得ないジレンマと、長年投手としてマウンドに立ち続けてきた性ゆえか、「ピッチャーをやってこその野球だ」という思いは、少なからず彼女の胸をざわつかせた。


それでも、全国から高みを目指して尚美に集った仲間の支えや、「打者としても結果を残せたほうが、野球は楽しい」という純粋な思いにより、以降の笹川さんは一塁を守りながら打者としてバッティングに専念する道を選んだ。ただ、楽しむために競技者としての熱量を失ったわけではなく、大学4年時には大学選手権制覇に貢献するなど、しっかりと結果も残している。


「大学時代は休みも週に1日、長期休暇になると休みなく練習漬けでした。朝から夜までみっちりだったので、内容的には確かにきつい思い出のほうが多いのですが、今でもチームメイトとはよくご飯に行ったり、仲良くしています。良い仲間がいたというのと、頑張った分の結果が出る点も(大学野球を)楽しめた一因です」。


横浜隼人への入学以降、笹川さんは女子学生野球の本流に身を置き、仲間と支え合いながら厳しい練習に耐えてきた。その中でも大事にしていたことは何だったのか。


笹川さんは「『ここでやらなかったら後悔する』そういった思いをなくすように取り組んできました。(厳しい練習でも)なんか楽しかったんですよね」と当時を振り返りながら実直に語った。


勝負の世界に身を置きながら常に楽しみを見出すということは、なかなか容易ではないはずだ。学生時代から一貫してこの姿勢を貫いてきた笹川さんだからこそ、主戦場をYouTubeに移しても「野球女子」として魅力的な発信を可能にしている。


次回はそのYouTubeでの活動や、笹川さんが抱く女子野球界への考えに迫る。


【インタビュー後編】最速120キロの美女左腕・笹川萌が語る「野球と私」 女子野球の現在地と“大舞台”への思い


私服姿が新鮮な笹川さん、明るい笑顔とともに野球愛を語ってくれた(写真:編集部)


取材/文・SPREAD編集部


《SPREAD》

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