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【スポーツビジネスを読む】スポーツ界の次世代リーダー、葦原一正ハンド代表理事 前編 スポーツビジネスは「中学3年からの夢」

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【スポーツビジネスを読む】スポーツ界の次世代リーダー、葦原一正ハンド代表理事 前編 スポーツビジネスは「中学3年からの夢」
【スポーツビジネスを読む】スポーツ界の次世代リーダー、葦原一正ハンド代表理事 前編 スポーツビジネスは「中学3年からの夢」 全 1 枚 拡大写真

スポーツ界のトップランナーに焦点を絞ったSPREADの新シリーズ「GM Interview」、今回はBリーグの元事務局長であり、4月1日より一般社団法人ハンドボールリーグ初代”代表理事に就任した葦原一正さんを東京外苑前の事務所に訪ねた。

スポーツ界の次のリーダーは葦原一正である」……多くの関係者がそう考えていたが突如、Bリーグを退き周囲を驚かせたかと思うと、ハンドボール・リーグ代表理事に就任。やはり、この男はひと味違うと唸らせた。

葦原一正(あしはら・かずまさ)

●一般社団法人日本ハンドボールリーグ代表理事1977年生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修了後、アーサー・D・リトル(ジャパン)入社。2007年オリックス・バファローズ、2012年横浜DeNAベイスターズを経て2015年、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)事務局長に。2020年に退任し、今年4月より現職。

◆【後編】日本における「スポーツの地位向上」とその勝算

コンサル、球界からバスケットボール、そしてハンドボールと転身を続ける彼自身の原体験から、スポーツビジネスのキャリアを模索する者へのアドバイスをもらうとともに、昨今浮き彫りになりつつある日本スポーツ界の問題点、まだ日本では決してメジャーとは言い切れない、ハンドボール・リーグの勝算を聞いた。

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同じスポーツビジネス界に身を投じつつ、葦原さんに訊ねたい疑問をずっと抱えて来た。私自身御用代理店もしくはポテンシャル・クライアントと立場を変えつつ、リーグ事務局長に相対して来たものの、まさかずけずけとそんな疑問を投げかけるわけにはいかず、数年が過ぎ去った。今回、いち書き手として「新代表理事」にお会いできる機会があり、まずはその疑問から訊ねた。スポーツ界を目指す者にとって、参考となる点も大いにあるだろう。

葦原さんは大学院修了後、コンサルティング会社に入社。その後、オリックス・バファローズからスポーツ界に入り、横浜DeNAベイスターズを経て、Bリーグの事務局長に就任。この4月からハンドボール・リーグを率いる。

勝手ながら個人的にコンサルティング会社にあまりよい心証はない。たいていは仕事に行き詰まった上司が「コンサルに依頼しよう」と言い出し発注。コンサルは市場調査の上、大仰な資料を提出しては来るものの、内容としては既知の情報に対し、数値の精度が上がっている程度で、目新しい提案があるわけでもない。ただ、法外な対価を請求して来る……これがコンサルに対する私の偏見だ。ただしもちろんと言ってはなんだが待遇は良い。

コンサル会社からなぜ実入りの悪いスポーツ界に転身したのか……。この疑問からぶつけた。

「中学校3年生でしたから1992年ですね。『週べ週刊ベースボール・マガジン)』を読んでいたら、NFLにトレーナーという仕事があると知ったんです。当時、野球少年だったんですが、『プロ野球選手になれなくても、スポーツの仕事ができるんだ』と閃いた瞬間でした」。

「野球少年とは言ってもスポーツ全般下手くそ、おやじとキャッチボールするのも好きでしたけど、レギュラーもとれなかった。熱狂的な野球ファンでもありませんでした。算数が好きだったので『トレーナーにはなれるかも』と。そういう意味では、その閃きもよくわからないですよね(笑)」。

この件は著書『日本のスポーツビジネスが世界に通用しない本当の理由』(光文社新書)にも登場する。

つまり、葦原さんにとってスポーツ界での仕事は「中学3年生以来の夢」だった。

夢を叶えるため、早稲田大学人間科学部への進学を決意。一年目を逃し二年目。先に合格したのは、理工学部だった。合格はしたもものの「入学金は振り込まなくてもいいよ」と両親に言い張った。その理由を問われ、「将来スポーツの仕事がしたい」と告げると、銀行員だった父から「宇宙人を見るような目で」見られたという。模試ではずっと合格A判定だった人間科学部だったが、なんと2年目も不合格。だが両親は、葦原さんに内緒で理工学部の入学金を振り込み済だった。

■「スポーツの神様」に嫌われた試練

「さすがに親に迷惑もかけられないですし、そのまま理工学部に進学しました。今振り返って思えば、両親に感謝ですよね。ただし、『スポーツには縁がない人生を送るんだろう』『スポーツの神様はオレを嫌ってるんだ』と落胆もしました」。

単なる夢であれば、葦原さんのスポーツ・キャリアは、スタートすることもなく、ここで潰えていたことだろう。だが、それまであまり聞いたことのなかった「スポーツ・ビジネス」という言葉がやたらと耳に入るようになっていた時期でもあり、理工学部の戸山キャンパスから、スポーツ関連の講義が行われる所沢までこっそり潜り込みに通ったりもした。

その後、大学院へ進学。フランス留学の際、ヨーロッパではスポーツが社会に浸透していると実感、さらにスポーツへの思いを強くし、「スポーツマネジメント」と言えばその名が挙がる鈴木友也さんにメールで打診した。これが「スポーツの神様に嫌われた」葦原さんの運命を変えた。なんのゆかりもない一介の大学院生に丁寧なアドバイスが届いた。

「日本のスポーツ界は成熟していない。まずはコンサルティング会社に進みスキルを磨いたらどうかと」。このアドバイスを忠実に守り2003年、外資系コンサルティング会社に就職。

社会人5年目、待ちに待った転機が訪れる。オリックス・バファローズからオファーが届いた。

日本のスポーツビジネスに馴染みのない方にまず理解頂きたい点は、スポーツビジネスが「搾取産業」と揶揄される点。スポーツは「夢の仕事」。よって、候補者は星の数ほどいる。門戸は著しく狭い。需要と供給のバランスから給与は総じて低い。オリックスの名誉の為にも記しておくがプロ野球球団の待遇はまだまともなほうだ。

■いよいよ球界へ しかし結婚直後、給与は半分

「入社5年目、結婚した翌月のことでした。(コンサルと比較し)給料は半分。妻に『は?』と言われました(笑)」。

それでも、中学3年生から夢見たスポーツの仕事、しかも日本ではもっとも大きな市場であるプロ野球、迷いなく飛び込んだ。その後、葦原さんの活躍は誰もが知る通りだ。

業界の待遇については、笑い話で済ましてはならない。スポーツはファンを楽しませると同時に、従事者にもしっかり還元しなければ未来はない。世の中の常識だが、優秀な人材は高待遇に集まる。待遇を捨て、人生を犠牲にしてまでスポーツ界に留まりたい候補者はそう多くはない。スポーツが儲からない原因のひとつは、儲け方を知る者、ビジネスを知る者にとって、魅力的ではないからだ。スポーツ界の待遇改善なくして、真の「夢の仕事」足り得ないだろう。

葦原さんは自身の経験から、これからスポーツ・ビジネスに就きたい若い世代へこうアドバイスする。

「(この仕事を)やりたかったら、色んな方々にそう話しかけ、行動することが大事です。セミナーに足を運ぶなどし、自分から(関係者に)『会いたいです』と口にすること。スポーツの仕事を『やりたいです』と言い続け、実行する。10人のうち9人にバカと思われても、たったひとりに助けてもらえる。ボク自身その原体験がありますから」。

今回、ハンドボールリーグの代表理事就任会見を行った際、即日Twitter DMに2人の大学生から熱いメッセージが届いた。その2人には直接、会って話に耳を傾けた。

「すぐに行動を起こしている。そこがえらい。そのうちのひとりは『テレカンでも大丈夫だよ』と伝えたにも関わらず、たった30分の打ち合わせのために関西から新幹線でやって来た。普通は来ないですよね。こちらもすぐに飴を与えられるわけではない。でも、紹介やアドバイスならできないことはない。自身の原体験からも、業界に恩をお返ししないといけないと考えていますから」。

「残念ながら、これを読んでからメッセをもらっても遅いですよ(笑)。即行動という点に心を動かされましたから」とのこと。本稿に目を通したからと言って、むやみやたらにメッセするのは控えたい。

◆【後編】日本における「スポーツの地位向上」とその勝算

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◆【スポーツビジネスを読む】公益財団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ島田慎二チェアマン 後編 Bリーグの将来構想とは何なのか

著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

《SPREAD》

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