【スポーツビジネスを読む】サッカーでの挫折からグローバル・ビジネスを目指す HALF TIME磯田裕介代表取締役 前編  世界的経営は「セカンド・キャリア」 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【スポーツビジネスを読む】サッカーでの挫折からグローバル・ビジネスを目指す HALF TIME磯田裕介代表取締役 前編  世界的経営は「セカンド・キャリア」

スポーツ 選手
【スポーツビジネスを読む】サッカーでの挫折からグローバル・ビジネスを目指す HALF TIME磯田裕介代表取締役 前編  世界的経営は「セカンド・キャリア」
【スポーツビジネスを読む】サッカーでの挫折からグローバル・ビジネスを目指す HALF TIME磯田裕介代表取締役 前編  世界的経営は「セカンド・キャリア」 全 1 枚 拡大写真

スポーツ・ビジネスを志す世代にとって、その狭き門をこじ開けるヒントを示す狙いでスタートした本インタビュー企画、今回は採用支援領域からスポーツ・ビジネス界へと足を踏み入れた、その狙いに最適なトップの意見を聞く機会を得た。「スポーツを通して生きがいのあふれる社会を実現する」を標榜、スポーツビジネスプラットフォームを目指すHALF TIME株式会社 磯田裕介代表取締役が、その人物。彼の言葉には自身の挫折から得た、示唆に富んだヒントが散りばめられている。

磯田裕介(いそだ・ゆうすけ)

●HALF TIME株式会社 代表取締役1987年大阪府生まれ。大学卒業後、日系大手人材紹介会社インテリジェンス(現パーソルキャリア)入社、全社MVP含め社内MVP賞を6度受賞。 同社の海外事業拡大のためシンガポールベトナム法人に出向。その後、スポーツ業界特化型の英系ヘッドハンティングファームSRISports Recruitment International) のシンガポール法人で初の日本人として入社し、日本事業を立ち上げ。シンガポール勤務の後、日本へ赴任。ワールドラグビー、欧州フットボールクラブなどの採用・転職支援。2017年8月HALF TIME株式会社設立。

◆【後編】今の日本に必要なのは「国際的柔軟性」

✱             ✱

■磯田さんにとってのセカンドキャリアとは……

セカンド・キャリア」、この言葉は、活躍したスポーツ界から引退し、次の人生へと進む際の表現として近年、頓に耳にすることが多くなかった。ともすれば、定年したサラリーマンの次ステップにまで、当てはめられるケースも増えている。それでも磯田さんは経営者として今、自身の歩む道を「セカンド・キャリアなんです」と表現した。

幼少期からサッカーで食べていくと心に決めていた。高校へもサッカー推薦で進学、大阪府選抜にもなり、その決心に揺らぎはなかった。しかし、選抜でのイギリス遠征時、世界の壁に直面。DFだった磯田さんは、身長190センチの黒人FWと相対する。日本人としては長身のぶるいに入る磯田さんではあるものの細身、「まるでラグビー選手のような体格」の相手に「まったく太刀打ちできない」と感じた。そんな経験は初めてだった。大学進学後、さらに実力不足を痛感。プロとしてのサッカーを断念した。「プロになりたかった。なれなかった自分が嫌いだった」とまで言い切る。

カリフォルニア州立大学ノースリッジ校サッカー部のメンバーと

そこで思案した。大学から巻き返せる分野とは何か……。サッカーを超える高い目標を掲げることができる領域は何か……。ビジネスという文脈なら、大学からでも間に合う。それも「世界的に活躍するビジネスパーソン」だ。「世界は広い。勝負するなら世界的に勝ちたい」、その目標なら自身を許せると考えた。

「大学に入るまであまり勉強しなかったので、英語から始めました」。3年時、カリフォルニア州立大学ノースリッジ校へ交換留学。そこでもサッカー部へ。「実力があったら認めてもらえる。世界でもやっていける」と再認識した経験だった。

■インテリジェンス入社後、海外プログラムに応募するも……

2011年4月、「グローバル・チャレンジ」という海外派遣システムを保持する「インテリジェンス」(現・パーソル)に入社。すぐに海外に出たかった。社内の海外プログラムを申請するものの不合格。面談で「現組織での成果がない」と一蹴された。「トップセールスになればOK」という約束を取り付け、まずは真摯に業務と対峙。プロアスリートを志していただけに、そこには非凡な努力があったのだろう。3年目、1000人程度の「人材紹介部」でトップセールスを記録。その実績をひっさげ「グローバル・チェレンジ」の合格を受けた。

駐在員として、シンガポールへ。さらにベトナム赴任も経験。もちろん、望んだ人事ではあったが、そこに新たな葛藤が生まれた。海外とは言え、業務内容は、現地の日系企業にローカル・スタッフを紹介するというもの。例えインテリジェンス海外部門のトップであったとしても、本国・日本のオペレーション下にある点に変化はなく、自身の目標との乖離を感じ取るようになった。

世界で活躍する経営者」を捨てきれず、英国系ヘッドハンティング会社へ転進。同社では初めての日本人、外国人のみの環境での挑戦が自身のプラスになった。その後Sports Recruitment International(SRI)に入社。やはり英国系だが、今度はスポーツ系専門エクゼクティブファームだった。「(ラグビーの国際統括団体)ワールドラグビーからの依頼で、日本で開催されたラグビー・ワールドカップへの人材調達などを任されました」。このキャリアが現在の起業へとつながった。

「スペンサー・オグデン」時代のオフィスにて

グローバルなスポーツビジネスであるラグビーW杯東京五輪開催が重なり、現在の領域に踏み込めた。「グローバル×スポーツ×人材」という要素を組み合わせた業務領域には「自分しかいなかった」と分析。この経験を活かし2017年、29歳で「HALF TIME」を起業。当初の目標としていた「20代での起業」を実現させた。

「プロにはなれませんでしたが、子どもの頃からスポーツをするだけで仲間ができた。目標達成のためにも、常にスポーツのバックグラウンドが役立って来た。スポーツは、極めて大きな価値を持っている、改めてそう気づかされました。スポーツの価値をもっと高めるためにも、世界的な経営者になりたい」。スポーツビジネスの領域で、世界を目指すキャリアとなったのは、ごく自然な流れだろう。

英語における「second career」は、それまでの経歴から職種を変え、転進を意味する。磯田さんの転進は、日本語のようにキャリアの終焉から仕方がなく次の仕事を探すような意味合いよりも、まさに英語のそれに当たるだろう。

■HALF TIMEが目指すべき社会

その創業4年目までに、まずは;1. 教育2. 人材3. メディアという3つの柱の立ち上げを完遂。今後、この3つの柱を武器に、どうシナジーを生み出して行くかをテーマとしている。

「具体的には、『HALF TIME Global Academy』にインターンシップを導入。様々な経験を積んでもらい、そのメンバーを適材適所に企業に紹介……これを早い段階で成功させたい。5年後に上場、アジアでベンチャーとして成功させ『アジアでのスポーツ人材ならHALF TIME』と言われる地位を確立したい」と明快なビジョンを示す。

磯田さんが「グローバル展開してこそ価値を生み出す」とする「HALF TIME」は、まだ船出したばかりだ。

◆【後編】今の日本に必要なのは「国際的柔軟性」

◆【スポーツビジネスを読む】スポーツ界の次世代リーダー、葦原一正ハンド代表理事 前編 スポーツビジネスは「中学3年からの夢」

◆【スポーツビジネスを読む】スポーツ界の次世代リーダー、葦原一正ハンド代表理事 後編 日本における「スポーツの地位向上」とその勝算

著者プロフィール

松永裕司●Stats Perform Vice President

NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoft毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist

《SPREAD》

≪関連記事≫
≫貴重な水着ショットも披露!「もはや高校生には見えない」大人っぽい池江璃花子、沖縄・石垣島の海を満喫

≫ケンブリッジ飛鳥と滝沢カレンが似てる?リオ五輪時から密かに話題だった

≫レアル所属・中井卓大ってどんな選手?…「リアルキャプテン翼」と呼ばれた少年時代