
齊藤さんの言葉通りスポーツ・ビジネス界において、P&Gの戦略などは日本企業にとっても手本となるのではないだろうか。
松井秀喜さんの同僚としても知られるニューヨーク・ヤンキース元主将デレク・ジーターが立ち上げた「プレイヤーズ・トリビューン」というデジタルメディアがある。アスリートが自身の意見をそのまま発信できるサイトとして一線を隠す存在だが、その「母の日」企画をP&Gがサポートした。世界のTOPアスリートが「Dear Mom」と題し、母への感謝と思いを綴る……この企画のスポンサーがP&Gだ。しかし記事中にも、周辺にも一切、P&Gの広告も商品も表示されない。「Dear Mom」という記事のひとつひとつにsupported by P&Gと表記されるだけ。
P&Gがいかに母の日を、または真摯に母という存在をサポートしているか…その哲学を感じ取らざるをえない。
齊藤恵理称(さいとう・えりな)
●フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社スポーツ&エンターテインメント・ジェネラルマネージャー/シニア・バイス・プレジデント
筑波大学大学院体育学修士取得後、アップルコンピュータでマーケティングコミュニケーション、“Think different.”グローバルブランドキャンペーンを担当、その後プラダのブランドマネージャーなどを経て2009年、フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社に入社。国内外企業のスポーツスポンサーシップ、戦略コミュニケーションを提供。2021年春、早稲田大学大学院 スポーツ科学博士終了。一般社団法人日本ゴルフツアー機構広報アドバイザー、一般社団法人ホッケージャパンリーグ理事も兼務する。
◆【インタビュー前編】スティーブ・ジョブズに学んだコミュニケーション哲学
■スポーツをビジネスの課題解決としてどう使うか……

コミュニケーション戦略について語る齊藤恵理称さん
日本ではこうした企業哲学を感じさせるようなコミュニケーション戦略を見る機会は少ない。どうしても、目の前にある商品を連呼し、商品を売り裁くための短絡的で利己的なCMに偏りがちである。
「トヨタさんのようなグローバル企業を例にとれば理解してもらえるとおり、コミュニケーションには『社員啓蒙』も含まれています。五輪を活用し、スポーツの力を活かし、社会貢献の実現を目指します」、齊藤さんは、そのためのスポンサー活動、コミュニケーション戦略だと力説する。
上記の証左のようにトヨタは今回の東京五輪についてCM出稿をせず、また豊田章男社長も現地出席を見送るというニュースが流れた。五輪に向け、次々と問題点が浮上する今大会、トヨタの哲学やトップスポンサーとしての役割を踏まえた判断がなされたのだろう。
「スポーツは単純にプロダクトやブランドを売るために、広告をどこに露出するか……という発想ではなく、スポーツを企業の課題解決や事業成長にどう活かすかです」、こうして目的な明確でないと、コミュニケーションの設計は難しいのだという。
「日本では時折、スポンサーシップそのものがトップダウンで決まってしまう。せっかく投資するのであれば、そのメリットをあぶり出さないといけません。日本の企業は、コミュニケーションの目的設計から必要です。事業設計があり、将来的戦略があり、その上でスポンサーをすべきです」。こうした言葉は、極めて常識的な戦略に聞こえる。

スポーツとビジネスの課題解決について話す齊藤恵理称さん
「Appleにはすでにブランド力がありますが、それでもコミュニケーションには手を抜きません。『なぜAppleを作ったのか』と同様に、『なぜこのプロダクトを作ったのか』、「なぜ」というストーリー、その背景に共感を呼ぶことで、Appleは見事に復活を成し遂げました」。日本の企業コミュニケーションは「What」と「How」しかない。「Why」が必要なのだと釘を刺す。
日本企業にとっては、少し耳が痛い話題だろう。しかし今後の戦略構築に際しては、参考にすべき提言のはずだ。齊藤さんが提言するコミュニケーション戦略の必須3条件は以下の通りだ。
・明確な目的設計・対象の明確化・将来戦略の明示
現在、新型コロナ禍にあるため今後、企業が社会にどう直結するのか、社会にどう貢献するか、社の役割を明確にする必要があるという。自社だけではなく、社会全体への影響を考慮すべきであり、「これが世界の時価総額TOP50企業に、現在はほとんど日本企業がランクしない理由ではないか」と斎藤さんは考えている。
■現在、東京スカイツリーのコミュニケーション戦略を担当
現在、齊藤さんは東京スカイツリーのコミュニケーション戦略を手掛けているが、そこでSDGsについても提案していた。スカイツリーとしては、これまでSDGsについて多くを語って来なかったと考えていたものの、これまでの企画をひとつひとつ丹念に拾って行くことで、将来につながるSDGsを明確化することに成功。国連75周年を記念し、タワーをSDGsの持続可能な開発目標を表す17色のライトアップにトライしたところ、そこで社員ひとりひとりにも自覚が生まれ、SDGsについてのメッセージ性が明らかになったという……実例を挙げてくれた。
本来であれば多くの観光客が海外から押し掛けるスカイツリーだが、新型コロナ禍においては、電波塔としてグローバルに向け、ポジティブなメッセージを発信して行く発信源の役割を果たしている。現在、グローバルステージに進むために、ジェンダー平等やインクルージョンといった世界の課題にむきあい社会の進化に貢献しようと、世界的な写真家レスリー・キー氏とともにプロジェクトを推進している。どんな企業においても、ストーリーとメッセージ性は重要な指標という一例だろう。

東京スカイツリーのグローバルキャンペーンローンチ時のもの
また、一般社団法人日本ゴルフツアー機構の広報アドバイザー、一般財団法人ホッケージャパンリーグ理事という肩書も併せ持つ齊藤さんに、スポーツという男性ばかりの真っ黒な業界について問題提起してみた。
スポーツ業界そのものが男性社会であり、女性の意見を真摯に参考にしようとするフシがないのではないかと前置きした上で「自分自身も例えば30人の男性グループな中で主張するためには、その方法論も含め、非常にエネルギーを消費していると思います。ただし、その中には私の役割も踏まえ、活かしてもらえるように関わり方は常に考えるようにしています」と、日頃からのその難易度については痛感しているという。
「しかしだからと言って、男女比を調整し、女性の人数合わせだけ行うというのは、観点が違うと思います。森(喜朗)元会長の件などを考えると(男性も)ある年齢を超えると、もともと持っている哲学を変えることは難しいと思います。そうした方は、それまでに培って来た知見を活かしてもらうことは大切にしつつ、これから育って来る若い世代に、時代に合った新しい哲学を学んでもらう方向を模索し解決するしかない……とも考えます。日本の会社だと、『偉い人の前で部下は発言しちゃいけない』などの不文律もあるので、新しい世代に感性を広げてもらい、新しい組織を構築してもらうのが次善策かと」と穏やかに苦言を呈した。
確かにスポーツ界においても、フェンシング協会やハンドボールリーグのように新しい世代がスピード感を持って変革し始めている団体も増えてきている。今後、新しい世代が台頭する流れにより、ジェンダーイシューも洗い流され、解決へと向かうのかもしれない。
■早稲田大学大学院で博士号を取得した理由とは……
齊藤さんはこの春、早稲田大学大学院で博士号を取得、修士がそれほどまでに珍しくなくなった現代ではあるものの、スポーツでの博士号となると、どんな意図があるのか訊ねた。
「日本のスポーツは、どうしても悪しき『体育』の発想から抜け出すことができない部分が残っています。そこで博士号というアカデミックなフィールドからその発想を一蹴することができるのではないかと考えました。アカデミーの領域に自らが入ることで、その視点を活用し、広げて行くことができると……」。

博士学位授与式に出席した齊藤恵理称さん
ここで少々唸ってしまった。スポーツ業界で博士号というと大学の研究者として活動する固定概念があったが、そんな活用方法を念頭においているとは、目からウロコほどの思いだ。
「車椅子マラソンの金メダリストタチアナ・マクファデン選手などはパラアスリートの権利を勝ち取るために、社会的取り組みを進めています。競技と同様に熱意を持って取り組んでいますが、日本ではこうした活動も『競技者は競技だけに集中しろ』という悪しき風潮が残っています。これを変えることで、引退後もすぐに社会に貢献できるアスリートとなる流れを作り出す必要性があります」、と固定概念に凝り固まった日本のアスリート感についても疑問を呈した。
「スポンサー企業も同様かと思います。もっともスポーツの価値を活用すべきです。日本の企業は技術力があっても発信力がない。スポーツはそうした発信力を促進させますし、その源泉はアスリートです。その選手自身のストーリーを発信するメディアも必要だと思います。私としては、選手のマネジメントにもかかわり、選手の発信を、選手の価値を高めて行く手助けができればと考えています」と現状に甘んじない志を語った。
「アスリートの素顔を伝える」メディアSPREADとしても、ぜひこうしたコミュニケーションを繋げることができるよう、より一層精進したいもの。
コミュニケーション……それこそが、ホモサピエンスを他の類人猿とは異なり、ここまでの文化、スポーツの担い手へと押し上げた最強のツールだ。小山田圭吾辞任問題などは、こうしたコミュニケーションをないがしろにした大きな代償だろう。
スポーツ界の、また日本社会のコミュニケーションについて、今一度ここで、改めて見つめ直してみたいものだ。
◆【インタビュー前編】スティーブ・ジョブズに学んだコミュニケーション哲学
◆【スポーツビジネスを読む】日本最大級スポーツサイトのトップ・山田学代表取締役社長 前編 MLB公式サイトをめぐる冒険
著者プロフィール
松永裕司●Stats Perform Vice President
NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ Microsoftと毎日新聞の協業ニュースサイト「MSN毎日インタラクティブ」プロデューサー/ CNN Chief Directorなどを歴任。出版社、ラジオ、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験を持つ。1990年代をニューヨークで2000年代初頭をアトランタで過ごし帰国。Forbes Official Columnist。