【プロ野球】シーズン最多本塁打記録保持者、ウラディミール・バレンティン引退 60本の夢をありがとう | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【プロ野球】シーズン最多本塁打記録保持者、ウラディミール・バレンティン引退 60本の夢をありがとう

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【プロ野球】シーズン最多本塁打記録保持者、ウラディミール・バレンティン引退 60本の夢をありがとう
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我が燕軍は、外国人選手の獲得に長けている点では、他球団を凌駕している

古くはデーブ・ロバーツチャーリー・マニエルに遡るが以降も、日本人の度肝を抜いたボブ・ホーナーに始まり、ラリー・パリッシュジャック・ハウエルドゥエイン・ホージートーマス・オマリーロベルト・ペタジーニアレックス・ラミレス、そしてトドメにウラディミール・バレンティン……あまりにも華々しい成績を残すがゆえに、30本以上打たなかった選手は、ときおり忘れてしまうほどだ。この中でホームラン王のタイトルを「手にしなかった」選手が誰かも記憶があいまいだ。

燕党は「助っ人」などという言葉を口にすることも極めて少ない。常にとても「助っ人」などという貢献度合いではないからだ。昨年の日本シリーズを眺めてもわかる通り、マクガフ、オスナ、サンタナ、どの一人が欠けても日本一は叶わなかっただろう。

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■傑出した成績を残した2013年のバレンティン

そんな中でもバレンティンは、傑出した存在だった

ヤクルト在籍期間9シーズンで8回も30本を放ち、とくに2013年には王貞治・現ソフトバンク球団会長兼特別チームアドバイザーほかが記録したプロ野球シーズン最多本塁打記録55本を更新、その記録を60本まで伸ばした。長打率も実に.779。9年が経った現在、双方ともに日本プロ野球記録。この年のOPS1.234を上回るのは、王、落合博満ランディ・バースの3人しか存在しない、卓越したシーズンだった点に異論はないだろう。

巨人のV9がスタートしたシーズンに生まれた昭和40年男のひとりとして、父はもちろん巨人、いや長嶋茂雄ファンだった。私も幼少期は当然のように「YG」マークのベースボール・キャップを被せられていた。しかし、自身が野球を始め、リトルリーグに入ると、当然のように東京大会は神宮球場で行われ、小学校5年の時にグラウンドを行進した。という実はたったそれだけの理由で、その時からヤクルト・スワローズ・ファンとなった。以降、日本選手として通算打率2位である若松勉の打率よりも、チーム勝率のほうが低いという時期から長きにわたり燕党である。

ただし私自身、他の燕党と比較し「軽いファン」である。シーズンが始まるまではその年のスターティング・ラインナップがどうなるかさえ、さして気にせずに眺めているし、年間で10試合も神宮に足を運べば多いほうだ。試合を眺めながら、周りの熱あるファンから、旬な選手の情報をインプットされる。これはファンとなった当初からあまりにも負け試合が多かったため、「今日は勝つのかな」と斜に構えて観戦する癖がついてしまったせいだ。プレーを眺めているよりもビールを呑んでいる時間のほうが長いという体たらくである。昔からビニ傘を振るのだけは忘れないものの。

■ヤクルト退団も、変わることのない燕党の「ココ愛」

それがさすがに2013年だけは、神宮に通った。55号を期待し9月11日の神宮に足を運ぶと広島の大竹寛から見事、プロ野球タイ記録をスタンドに放り込んでみせた。スケジュール上、ちょうど神宮での試合が続いたためこの間、すべて満員の本拠地に通い詰めた。しかしその後3戦は不発。15日は、仕事の都合でプレーボールに間に合わず、神宮球場の入口にたどり着いた際は、1回裏の攻撃が始まっており、「2番サード川端」のアナウンスが流れていたゆえ、スタンドに向け走りに走った。

総立ちの一塁側スタンドの指定席にたどり着き、グランドを振り返ると、ちょうどバレンティンの打席だった。ほっと胸をなでおろしたが、息を整える暇さえなかった。カウント2ボール1ストライクから阪神の先発、榎田大樹のストレートをひっぱたくと、打球は左中間スタンドに吸い込まれた。耳が潰れるかと思われるほどの大歓声が沸き起こったのは言うまでもない。歓声があまりに大きいと一瞬、耳が聞こえなくなるのだ……そんな体験をしたのは、この時限りだろうか。

3回に回ってきた第2打席、3ボールからの4球目を強振すると、これもレフト・ポール際に飛び込む57号。2003年に李承燁イ・スンヨプ)が韓国で記録した56本の「アジア記録」も上回る、2打席連続の号砲を上げた。通い詰めた甲斐が実り、日本新とアジア新を目撃することができた。

日本シリーズを除き、5試合連続でヤクルト戦に通うなど、今のところ、このシーズンだけの経験だ。その後、実は運良く60号まで球場で目撃した。

その後もシーズン30本以上を記録し続けた「うちのココ」が、ソフトバンクへと移籍を決めた際は、多くの燕党同様心を痛めた。これまでの例から、ヤクルトを飛び出しその後、花を咲かせた選手など、極めて例が少ない。せいぜい巨人からの誘いを蹴って、メジャー移籍した吉井理人(現ロッテピッチングコーディネーター)と日本ハムへ移籍し現在はGMを務める稲葉篤紀ぐらいだろう。

そして案の定、バレンティンは、ソフトバンクではさした出場機会もなく、退団を余儀なくされた。

しかし、だからと言って、燕党の「ココ愛」が変わることはない。プロ野球シーズン最多本塁打記録保持者として引退するキミを誇りに思うよ。ありがとう、バレンティン。そして、お疲れさま……。

我が燕軍の選手として引退試合を開いてもらいたいものだが……ヤクルトさん、難しいですかね。

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著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨーク大学などで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

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