【空手】電撃引退した形の“絶対王者”喜友名諒 会見でにじんだ高い「人間力」 前編 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【空手】電撃引退した形の“絶対王者”喜友名諒 会見でにじんだ高い「人間力」 前編

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【空手】電撃引退した形の“絶対王者”喜友名諒 会見でにじんだ高い「人間力」 前編
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東京五輪空手男子個人形の金メダリストであり、史上唯一の世界選手権4連覇を果たした喜友名諒(劉衛(りゅうえい)流龍鳳会、沖縄県沖縄市出身)が競技からの引退を決めた。

◆「沖縄の子供たちにも夢を」喜友名諒が圧倒的強さで金メダル 新種目初代王者に

今月17日には自身の生まれ故郷であり、空手「発祥の地」の沖縄で全日本空手道連盟主催の引退記者会見に出席。世界選手権の団体形で2連覇を果たし、同じタイミングで一線を退く同門の金城新、上村拓也と共に、空手家人生における節目の場に立った。他の追随を許さない“絶対王者”のまま引退を決めた理由とは何だったのか…。

団体形で共に戦ってきた金城新(右)、上村拓也(左)と共に稽古を重ねる喜友名諒 撮影:長嶺真輝

■「幸せな選手生活」冒頭で取材陣に深い感謝

沖縄県本島南部の豊見城市にある沖縄空手会館。沖縄空手を独自の文化遺産として保存・継承・発展させ、国内外に「空手発祥の地」をアピールするために沖縄県が2017年に開館した施設だ。引退記者会見は施設内にある広い道場で行われ、喜友名、金城、上村のほか、3人の師匠であり、劉衛流道統5世の佐久本嗣男氏と清水由佳氏も同席した。

初めにマイクを握った喜友名は、県内外から詰め掛けた多くの報道陣を前に頭を下げた後、第一声に万感の思いを込めた。

「昨年のアジア選手権を最後に、競技生活を終えることを決めました。これまで選手生活を送ってきて、もうどこにもない、本当に幸せな選手生活を送ることができたと思っています」。

続いて口にした内容が、なんとも喜友名らしかった。

「特にメディアの方々には、東京オリンピックに向けて何度も沖縄まで足を運んでいただき、自分たちの稽古を報道していただきました。そのおかげで空手をまだ知らない方や、応援してくれる方々に自分たちが目指している目標を伝える事ができました。将来のある子どもたちに夢を持ってもらうためにも、自分たちの思いを伝えたい気持ちがあり、皆様のおかげで届けることができました。本当にありがとうございます」。

「武道家である前に人である」という教訓を掲げる劉衛流。那覇市内のビルの3階にある道場に取材に行くと、喜友名は他の門下生と同じように決まって記者の下にすぐに駆け寄り、「こんにちわ」と挨拶をして深々と頭を下げる。そして、記者が座る用と荷物を置く用のパイプ椅子を2脚持ってきてくれる気遣いの男は、自身が主役の会見の場でも取材陣への感謝の言葉を忘れなかった。

■アジア団体6連覇で「やりきった」

5歳で道着に袖を通し、中学3年で劉衛流龍鳳会の門を叩いてからは1日たりとも稽古を欠かしたことはない。練習中から本番さながらの気合いで形を打ち、大きな両の瞳で空手の深淵を探り続ける姿は、師の佐久本氏に「努力の天才」と言わしめるほどだった。常に現状に満足しない強い克己心が、技に圧倒的な迫力や切れ、力強さを生み出す根源となった。

長男の冴空君と記念撮影に応じる喜友名諒 撮影:長嶺真輝

ただ、輝かしい経歴は1人の力で成し遂げられるようなものではない。それは自らが一番自覚している。

「毎日稽古をつけてくださる佐久本先生や清水先生がいて、毎日切磋琢磨できる仲間がいて、自分はここまでやってこれたと心から思っています。どんな時も熱い思いを持って向き合ってくれて、自分も死ぬ気で指導を受けてきました」。

年齢的には喜友名から見て後輩となる金城と上村に話が及ぶと、時折声を詰まらせながらこう続けた。

「団体メンバーの2人とは、小学生の時から仲間でありながら、ライバルとしても戦ってきました。先輩、後輩という関係だけど、何かあったら相談して、友達のような存在でもありました。これまで一緒に戦ってこれたことを誇りに思っています」。

強い絆を象徴するように、現役生活の幕を閉じる決意をした試合も団体で出場した一戦だった。それは前述の喜友名の言葉にもあるように、昨年12月にウズベキスタンであったアジア選手権だ。喜友名、金城、上村は日本代表として団体形に出場し、6連覇を達成。以下は引退を決めたきっかけを問われた3人の答えである。

喜友名「選手としてやれることはやったのではないかと感じていますし、前回のアジア大会で、団体で自分たちが一番強いということを証明できたと思いました。『もうやりきった』という思いを一緒にすることができたので、本当に悔いなく終われました」。

金城「アジア大会には佐久本先生も現地に駆け付けてくださって、指導のおかげですべてを出し切る事ができました。この演舞だったら気持ち良く次の人生に繋げられると思えました」。

上村「東京オリンピックで『もしかしたら団体もあるかもしれない』という気持ちがありました。結果、個人のみでしたが、諒先輩と佐久本先生がみんなの思いを背負い、『オリンピックで金メダル』という夢を叶えてくれました。さらにアジア大会の団体で思い切り演武をして勝つ事ができたので、それが引退の決め手になりました」。

喜友名にとって現役生活の中で最も印象に残っている瞬間も、2016年の世界選手権の団体形で初優勝を飾った時だったという。「2014年に個人形でも世界選手権で初優勝をしましたが、その時は『何か違うな』という気持ちがありました。団体の3人で表彰台の中央に上った時に『目指していたのはこの場所だ』と思いました」と振り返り、団体戦への強いこだわりをうかがわせた。

◆【後半】電撃引退した形の“絶対王者”喜友名諒 会見でにじんだ高い「人間力」

◆空手の絶対王者・喜友名諒を生んだ沖縄 「発祥の地」強さの秘密は

◆空手、女子形の清水希容が「銀」 初種目、日本勢の第1号メダル

著者プロフィール

長嶺真輝●沖縄のスポーツライター

沖縄県の地方紙『琉球新報』の元記者。Bリーグの琉球ゴールデンキングスや東京五輪などを担当。現在はフリーのライターとして、スポーツを中心に沖縄から情報発信を続ける。生まれは東京だが、人生の半分を沖縄で過ごし都会暮らしが無理な体になっている。

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