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チーム三菱ラリーアートは2023年のアジアクロスカントリーラリー(AXCR)に新型トライトンでの出場を表明している。
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■AXCRで必要なプライベーター支援
ディフェンディングチャンピオンとしての戦いにも期待がかかるが、昨年の戦果から車両をトライトンにスイッチしてくるプライベートチームがあるとも考えられる。
前回のAXCRでのプライベート勢では、ベトナムから最新モデルのトライトンが出場。今後三菱を選択するチームが増える場合も想定し、それらプライベートチームへの「支援体制」整備は、三菱自動車に対する支持基盤をより強固にするためにも必要だろう。
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新型トライトン 提供:三菱自動車
三菱自動車が自己の事業会社である株式会社ラリーアートにモータースポーツ事業を委ねていた時代には、ヨーロッパやアジア・パシフィック地区に海外拠点も多く有していた。
では、かつてのラリーアートが海外に展開した拠点とはどのようなものだったのかを振り返っておきたい。
その筆頭はワークスチームの実動部隊たるラリーアート・ヨーロッパとソノート・ラリーアートだ。前者は英国に置かれ世界ラリー選手権(WRC)を、後者はフランスでの三菱自動車販売店のソノート社をベースにダカールラリーの実戦を担った。
ちなみに自動車関連メディアでも誤解している場合もあるのだが、英仏それぞれに存在したラリーアートUKとラリーアート・フランスはユーザー(プライベーター)支援組織であり、別のものだ。
■かつては公認されていないラリーアートも
ラリーアートファミリーの多くは所在国の三菱ユーザー支援を担ったが、ラリーアート・オーストラリアやホンコン(後のチャイナ)は篠塚建次郎選手のアジア・パシフィック選手権や香港~北京ラリー参戦などではセミ・ワークスとしても強力な存在感を放った。
ドイツのラリーアート・ジャーマニーは量産車に近いグループNで快進撃を続け、予算の限られた三菱陣営をサポートするためマニュファクチャラーポイントの対象となるワークス・ノミネートされたこともある。
WRCでの三菱車の躍進は特にヨーロッパ各地のディーラーを活気づけ、公には承認されていないラリーアートをそれぞれに名乗ったほどだ。
スウェーデン三菱の宣伝部を母体に結成されたラリーアート・スウェーデンは、ギャランVR-4で国内選手権11連勝を果たしている。後に三菱ワークスドライバーとなり、ラリーアート黄金期を共にしたトミ・マキネン(1996年から99年までドライバーズタイトル4連覇) もプライベーター時代はラリーアート・フィンランドからの出場だった。
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プライベーターの活躍も伝えた『ラリーアートジャーナル』
ASEAN地区ではラリーアート・タイランド、インドネシア、異例の二拠点となったマレーシアなどユーザー支援組織として確固たる活動を展開し、それぞれの国での自動車産業の発展を下ざさえしたと言っても過言ではない。現在三菱自動車がASEANを世界戦略の中心に置いているのも、そういった実績のもと現地で多大な支持を得ていることからも明らかだ。
2010年の株式会社ラリーアートの事業停止以降もいくつかの各国拠点はラリーアートの名を残し活動を継続したが、多くが2014年ごろを境に実戦や事業を実質停止した。ASEANでは中核的存在だったラリーアート・タイランドも、アパレルなどのキャラクター商品展開が最後の事業だった。
ASEAN諸国の三菱ディーラーは、三菱自動車によるモータースポーツ活動の復活を長らく待ち望んでいたはずだ。タイではオフロード・パフォーマンスに優れたトライトンやパジェロスポーツの販促試乗イベントではRALLIARTのロゴを試乗車にも配し、インドネシアではラリーアートのメカニックのスーツのデザインから着想を得たユニフォームをディーラー整備士の作業着に採用もしていたほどだ。
だが、三菱ラリーアートが復活した2022年AXCRでは、三菱車で出場するASEAN現地プライベートチームでRALLIARTを掲げたチームはなかった。
ユーザー支援をまだ視野に入れていない現状では、現地三菱ディーラーの支援を受けてはいても、勝手にRALLIARTを名乗ったり車体表示もできないのだろう。
■杉本達也が掲げたRALLIART
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AXCRをスタートする杉本 提供: 小林正夫
そんな中、日本から出場した杉本達也のパジェロスポーツだけがRALLIARTを掲げた。その背景については、もう明かしてもいいだろう。
杉本の出場計画を把握した私は杉本選手の意向を確認の上、三菱自動車にRALLIARTのロゴを車体表示する旨の連絡を入れている。新生ラリーアートの実戦復帰の国際ラリーで、三菱自動車の「ラリーアートビジネスのノイズ」とならないことの確認も兼ねて、である。「兼ねて」というからには、本来の目的もある。
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タイでカラーリング作業中のパジェロスポーツ 提供: 杉本達也
杉本と私は共に三菱自動車のワークスチームの源流たるコルトモータースポーツクラブ(CMSC)に属し、またかつてラリーアートの海外業務に従事していた。
三菱自動車のモータースポーツ活動とラリーアートの復活を誰よりも願ってきたからだ。ゆえにパジェロスポーツにRALLIARTを記したかったのである。これらの背景から三菱自動車から快諾いただいたことは言うまでもないが、この情報は三菱社内でAXCRに関与する部門で共有されるまでに至った。これにより杉本は新生ラリーアート発足後、国際ラリーで最初にRALLIARTを背負ったプライベーターとなった。
このエピソードを披露したのは、これを前例に他の三菱車での出場選手たちにも拡大できる体制を築いてもらいたいという思いからだ。ファンは、また特に三菱を選ぶプライベートチームは、スリーダイヤとセットされた「ラリーアート」を望んでいるのだ。杉本が味わった栄誉を、各地のプライベーターに再びもたらすのは三菱自動車と新生ラリーアートに課せられた義務だ。
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撮影:中田由彦
いったん解体したネットワークをASEANに限るにしても再構築するのは容易ではない。だが、そのヒントと足がかりはアジアのすぐ近くにある。
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著者プロフィール
中田由彦●広告プランナー、コピーライター
1963年茨城県生まれ。1986年三菱自動車に入社。2003年輸入車業界に転じ、それぞれで得たセールスプロモーションの知見を活かし広告・SPプランナー、CM(映像・音声メディア)ディレクター、コピーライターとして現在に至る。