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【THE REAL】サポーターから日本代表へ…塩谷司がロシアの地で完結させる8年越しのシンデレラ物語

オピニオン コラム
塩谷司 参考画像(2015年1月9日)
塩谷司 参考画像(2015年1月9日) 全 10 枚 拡大写真
大塚FCジュニアユース(現徳島ヴォルティスジュニアユース)から徳島商業高校、そして国士舘大学と歩んできた過程で、年代別の日本代表に招集されたことは一度もなかった。

大学3年次には父親がくも膜下出血で急死。女手ひとつで2人の弟を育てることになった母親を助けたいという思いから、中退して地元徳島で就職しようと決意したこともある。

■大学4年の春に告げられたコンバート

ターニングポイントは大学4年の春。母校の国士舘大学サッカー部のコーチに就任した、元日本代表DFの柱谷哲二氏から告げられた突然のコンバートだった。

それまでの主戦場はボランチ。誰よりも攻撃好きな性格を自任していただけに、塩谷にとっても文字通りの「青天の霹靂」だった。コンバート直後の偽らざる心境を、塩谷本人から聞いたことがある。

「そりゃあ不満もありましたけど、さすがに監督やコーチングスタッフには言えないので自分のなかにため込んで、ときにはチームメイトたちに『何でオレがセンターバックをやらなきゃいけないのか』と怒りをぶつけていましたね」


塩谷司

センターバックとして長く日本代表の最終ラインを束ね、卓越したリーダーシップから闘将と呼ばれた元キャプテンは、2010年春の段階で塩谷と日本代表のある常連選手をダブらせていた。

「コンちゃんをもっとテクニックのある選手にしたイメージでしたね」

コンちゃんとは、2大会連続でワールドカップに出場し、ハリルジャパンにも名前を連ねる今野泰幸(ガンバ大阪)。コンサドーレ札幌の監督を務めていた2002年シーズンに入団2年目の今野を指導したことのある柱谷コーチは、塩谷にセンターバックとしての潜在能力を見出していた。

師弟関係は卒業後も続く。2011年シーズンからホーリーホックの監督に就任した柱谷氏の誘いもあって、塩谷も大学3年生までは夢にも見なかったプロの世界へ飛び込んだ。

【塩谷司がロシアの地で完結させる8年越しのシンデレラ物語 続く】
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《藤江直人》

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