「オレはメンタルを一番大事にしている。プロ選手として成功するためには何が必要なのか、どのような考え方が必要なのかを塩谷には伝えた。サッカーで飯を食うための覚悟、ピッチ外でも自分の体に気を使うといった、プロとして当然の自己管理ができるようになった。加えて、水戸では筋トレで体を二回りくらい大きくさせた。フィジカルの強さは十分世界に通用するし、サイズもコンちゃんよりある。スピードもあるし、左右の両足で正確なキックも蹴ることができたからね」
■新たなターニングポイント
迎えた2年目の夏。2度目のターニングポイントが訪れる。移籍ウインドーが開くと同時に、塩谷のもとへはサンフレッチェ、清水エスパルス、大宮アルディージャから完全移籍での獲得オファーが届いた。
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塩谷司
愛着深いホーリーホック残留を含めて、思い悩んだ末に塩谷はそのシーズンでJ1初優勝を果たすサンフレッチェへの移籍を決断する。
「J1のなかで一番面白いサッカーをしているし、優勝争いをしているなかで選手全員の意識が高いとも聞いていたので」
手塩にかけて育てた愛弟子を、柱谷監督は熱いエールとともに送り出している。
「広島で頑張って試合に出て、日の丸を背負ってオレに恩返ししろよ」
サンフレッチェでは2013年シーズンから、3バックの右として全34試合に先発フル出場して連覇に貢献。2014年にはチーム3位となる6ゴールをあげるなど、攻撃力をもアピールして代表デビューを手繰り寄せた。
「候補」の但し書きこそついているとはいえ、ハリルホジッチ監督の構想にも入った現在位置に対して、塩谷は恩師である柱谷監督への感謝の思いを抱きながらプレーしている。
「センターバックにコンバートしれくれたことが本当に大きかった。大学3年まではほとんど試合に出られなかったし、あのままボランチだったら、おそらくプロにはなっていなかったと思うので。テツさん(柱谷監督)には何よりもメンタルの部分を鍛えられた。自分は熱い気持ちを表に出すタイプではないので、ピッチの上では『頭はクールに、心は熱く』を実践しています」
【塩谷司がロシアの地で完結させる8年越しのシンデレラ物語 続く】