サッカーの楽しさを思い出し、童心に返ったかのように最前線で生き生きと躍動した日々。その副産物が2シーズン連続で獲得した得点王であり、驚異的な決定力に魅せられたアルベルト・ザッケローニ元日本代表監督による、ワールドカップ・ブラジル大会代表へのサプライズ招集だった。
もっとも、大久保を蘇らせたフロンターレへの移籍が幻に終わりかけていたおそれがあったことは、あまり知られていない。
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2012年シーズンのオフ。J2に降格したヴィッセルから契約延長の意思がないことを告げられていた大久保の視線は、他のJクラブよりも海の向こう側へ向けられていた。
そのシーズンの大久保はチーム事情から不慣れな中盤でもプレーし、わずか4ゴールに終わっていた。それでも降格させた責任を痛感し、J1復帰を目指すヴィッセルの力になる意思を固めていた。
それだけに、事実上の戦力外とされたショックは、計り知れないほど大きかった。いくつかのJクラブからオファーは届いていたが、まったくといっていいほど関心がわいてこなかった。
「韓国とか行こうと思っていてね。オファーを待ち続けていたんですよ」
当時をこう振り返ったことのある大久保だが、だからといって韓国のKリーグに対して特別な興味を抱いていたわけでもなかった。
「意中にしていたチームも特にないです。韓国で一度くらいやってみたいな、という気持ちでしたね」
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韓国の移籍市場では、外国人選手の獲得案件は最後に回されることが慣例だった。代理人からは「もう少し待てばオファーがあるかもしれない」と言われていた。
越年も覚悟していた大久保は、なかば自暴自棄になりかけていた。そのときにかけられた、夫人の莉瑛さんの悲痛な叫びを大久保はいまも忘れていない。
「絶対に行っちゃダメって言われたんですよ。いくら隣の国だからといっても存在が忘れられちゃうよ、日本で名前なんて出てこないよってね」
【大久保嘉人がゴールに込める熱き想い 続く】