莉瑛さんの訴えはさらに熱みを帯びたと、大久保は続ける。
「日本代表に復帰する可能性だってまだあるのに終わっちゃうよ、その先はもう引退するしかなくなるよとまで言われてね。さすがにそうだよなって思ったんですよ」
現実の世界に引き戻され、日本国内での再出発を誓った直後の12月末に届いたのがフロンターレからのオファーだった。日本代表でもともに戦った中村のパスを思い出した瞬間に、大久保は移籍を即決する。
30歳を迎えたシーズンでの鮮やかな復活劇に至る扉を開けてくれた最愛の莉瑛さんがいま、懸命に病と闘っている。
今夏に第4子を流産した莉瑛さんが、妊娠時の子宮腔内全体にぶどうの房状の絨毛が異常増殖する胞状奇胎を患っていたことを、大久保は10月11日に更新した自身のインスタグラムで明かした。
長崎県の名門・国見高校時代以来となる丸刈り姿となった大久保は、同じく丸刈りにした3人の息子たちと笑顔で一緒に収まった写真を投稿した上でこう綴っている。
「手術もしましたが、術後の経過が順調じゃなく入院しての治療が必要になりました。奇胎後hcg存続症というみたいですが、この病気には抗ガン剤治療が必要みたいです。抗ガン剤の副作用で髪が抜けるかもしれないと聞き、そうなると妻がショックを受けると思いました。これからの入院や治療への不安を少しでも和らげられたらなぁと思い、子どもたちと相談して坊主にしてみました」
4年間の交際を実らせて莉瑛さんと結婚したのは、マジョルカへ移籍する直前の2004年12月。莉瑛さんはジュニア・アスリート・フードマイスターの資格を取得して大久保のコンディションを支え、わんぱく盛りの3人の母として家庭を守ってきた。
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大久保嘉人と家族
自他ともに認める「永遠のやんちゃ坊主」の大久保にとって、莉瑛さんはかけがえのない存在だ。そして、あえて愛妻の病名を明かしたのは、突然の丸刈りが「何かの罰だと思われるのは嫌」と、逆に大久保を気づかった莉瑛さんから要望されたからだ。
伝わってくるのは夫婦の強い絆。フロンターレへの移籍を導いてくれたことを含めて、いままで注いでくれた愛への感謝。そして、病に打ち克ってほしいというエール。あらゆる想いがゴールに込められている。
インスタグラムを更新してから3日後。ホームにJ2の京都サンガを迎えた天皇杯3回戦の前半22分に先制ゴールを奪い、フロンターレを3対0の快勝に導いたのは坊主頭の大久保だった。
そして、サンフレッチェ戦で決めたスーパーゴール。実はこの試合は、地上波のTBSで生中継されていた。残念ながら試合は後半アディショナルタイムの失点で負けてしまったが、一時退院していた莉瑛さんへ、画面を通してパワーと勇気は届いたはずだ。
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夏場に幕を開けたセカンドステージの14試合で11ゴールを量産してきた。ファーストステージとの合計も22ゴールに到達。2位のFW宇佐美貴史(ガンバ大阪)に3差をつけて、前人未到の3シーズン連続の得点王獲得へラストスパートに入った。
ゴン超えを目指す争いでも、佐藤が通算156ゴール目を決めた直後から5試合、計312分間にわたって沈黙している間に7ゴールをゲット。怒涛の追い上げで、開幕前は12点も開いていた差を「1」にまで詰めた。
振り返ってみると、莉瑛さんが病を患った時期と大久保のゴールラッシュに加速がついた時期が一致していることがわかる。
残り3試合。記録と記憶に残るゴールを愛妻へ捧げるために。心優しき33歳のストライカーは相手ゴール前で修羅と化して、貪欲に闘い続ける。