大日方:パラリンピックを通して社会に自分のメッセージを伝えること、ですかね。私が長い競技生活を続けることができたのは、金メダルを獲ることで、皆さんに話を聞いてもらう機会を作っていきたかったからと、世の中が変わっていくのを自分の肌で感じられたからなんです。
それを最も感じたのは長野パラリンピックでした。私が初めてパラリンピック(リレハンメル大会)に出た頃は、日本ではパラリンピックはほとんど知られていなく、そもそも『パラリンピック』という言葉さえ通じなかった。
今もマイナースポーツですが、「マイナー」と呼べる域にすら達していなかった。まずスポーツという認識をしてくれない。自分たちだけがスポーツと思っているところからのスタートだったんです。そんな状況ですから、日本(長野)でパラリンピック開催が決まっていましたが、国内ではまず盛り上がらないと思っていました。
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■結果を出せば、伝えたいことを発信できる
リレハンメルでは、地元は盛り上がってお客さんも沢山入っていたし、パラリンピック選手もアスリートとしてリスペクトされましたが、日本がこういった状況になるのはまだ無理だろう、と。
いつかその世界を変えたいな、と密かに思っていたという感じです。ところが、ふたを開けてみると長野パラリンピックはすごく盛り上がった。特に私が金メダルを獲ったことが、盛り上がりの発端になるとはまったく想定もしていなかったんです。沢山の人が祝福してくれて、応援してくれて。そして沢山の人が話を聞きたいと言ってくれました。
人々が注目してくださると、自分が何に一生懸命取り組んでいるのか、何が課題だと思っているのか、この世界をどうしたいと思っているのか。そういったことを伝え続けることができるわけです。
やっぱり、スポーツの世界は結果を出すのがすべて。結果を出すと、大勢の人が注目してくれるという価値が発生するんです。そこでようやく、自分に話す機会が与えられる。だからこそ勝ち続けたいと思っていたし、もっと自分たちが考えていることを伝えたかった。
幸いパラリンピックに出場し続ける中で、それなりの結果を出すことができて、伝えたかったことを伝えることがある程度はできた。広い意味では次世代の選手たちも育ってきていて、もうひとつ先の世界に進めるためには、アスリートとして活動しているとできないことがあると気がついた。選手として活動するための費用負担の問題です。パラリンピックに関して言うと、選手としてはとにかく経済的な自己負担が大きいんですね。
活動を継続し結果を出し続けるには、競技にかける時間、エネルギーだけでなく、お金もかかる。選手個人としてはサポートしてくださる企業を探すこともできるのですが、チームや、パラスポーツ環境全体を改善することは簡単ではない。当時は国からの助成金など予算配分も少ないし、スポーツに関心のある企業の関心も野球やサッカーなどのスポーツに集中しやすい。
そういうスポーツそのものの価値を高めることや、多様なスポーツに関心を広げていく、という活動は「選手」という立場ではできないことだった。私はあまり器用なタイプではないので、環境を変える活動に従事しようと思うと、どんどんアスリートとして集中して自分のために取り組む時間が減っていく。
中途半端に選手活動をするのは嫌でした。まぁ、やりたいことが広がってきて、選手としての立場だけでは対応できないことが増えてきたから、というところなんでしょうか。
(その2へ続く)
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その1 アスリートのキャリアと"戦略力"
その2 「自分じゃなきゃできないこと」を追い求めた結果、気がついたらそこにいた
その3 「レガシーは狙って残す」…オリンピックにおける「レガシー」とは?
その4 日本人の国民性がオリンピックに向いている理由とは