大日方さんは3歳で交通事故により右足を切断、左足にも重度の障害を負った。高校2年生でチェアスキーを始める。現在は(株)電通パブリックリレーションズで、「オリンピック・パラリンピック部」に在籍。日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副会長も務めている。
その1:アスリートのキャリアと"戦略力"
その2:「自分じゃなきゃできないこと」を追い求めて
■「レガシー」は狙って残す
---:大日方さんが1998年の長野大会で金メダルを獲ったことで、日本のパラリンピック界は盛り上がったのですか?
大日方邦子さん(以下、敬称略):私が金メダルを獲ったことにより、というか、日本選手がすごく活躍した大会でした。でも、たまたま私が大会でメダルを獲った最初の選手だったので、そこがクローズアップされた。この大会で時代がひとつ変わったというか…。
---:例えばフェンシングでは太田雄貴選手(2008年北京五輪フルーレ個人銀メダル、2012年ロンドン五輪フルーレ団体銀メダル)が活躍したことで、フェンシング界が盛り上がりお金も集まった。でも、注目は一過性のものだったように思えます。
大日方:一過性のものにしない努力も必要ですよね。ただ、「終わる」と言われても物事には多様な見方があって、フェンシングの場合も、太田選手の活躍前の状態には戻っていないと思うんですね。ゼロには戻らない。
これを一過性のものと見るか、何かしらの「レガシー」が残っていると見るか。
戻さない、あるいは業界的な言い方をすると「仕掛け続ける」のか。そういう意味では、フェンシングはうまく回っているのではないでしょうか?
大日方邦子さん
日本ではフェンシングがオリンピック競技であることも知らない人がいたと思いますが、今ではなんとなく知れ渡っていますよね。ルールまではまだ浸透しきっていないかもしれないけれど、それでも前の状態に戻ったわけではない。
こうした状態の時にも仕掛け続けるのが大事だと思う。何もやらなければじりじり落ちていってしまうので。
---:「仕掛け続ける」ということですが、仕掛けるときに意識していること、コツなどはあるのですか?
大日方:それが分かればみなさん苦労しないですよ(笑)。そんな絶対的な要素があるわけではない。私自身もなにが「仕掛け」の要素になっているのか、もう少し研究したいと思っています。
日本でスポーツ全体は2020年に向かって、総じて見れば追い風。この機会を活かすことによって、広い意味ではスポーツ文化の醸成ができるはずだと思っています。
「では、何を仕掛ければうまくいくのか?」というところは、これからスポーツ庁が立ちあがって、私も審議会の委員ですが、そこでも話し合いがされるでしょう。また、競技団体、企業、メディア。それらすべてが噛み合わないといけない。絶対的な仕掛け方の王道、みたいなものはないはずです。
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